ゴルフ場、好きなんだよね。

色々なゴルフコースをラウンドしたりするのが好きなんだな。
「このホールは、どんなことが意図されているのか」とか、18ホールの戦略的バランスを考えながらラウンドしたり、難易度の高いホールのティーショットを楽しみつつセカンドからはピンに対して “どのように打っていくか” をプランニングしてみたり、とかね。楽しいんだな~♪ これが。 本当にゴルフは面白い。

まぁ、ツアーで戦っていくツアープロってのには向いてない性格でしょうなぁ(笑)

でもね。男が、このまんまじゃ終われないでしょ。試合は、俺の住処だし・・・。

【Gスタジオ&合田洋ゴルフクリニック】

一生やり続けられるメソッド

ゴルフスウィングのヤリ方には、じつは「一生やり続けられるメソッド」と「その場かぎりのメソッド」というのがあるんだな~。

ゴルファー(アマを問わずプロも同様に)の多くが、自己練習のなかで、「これだ!このヤリ方だ!!」と開眼したりするメソッドは、その段階だけでしか行えないメソッド=「その場かぎりのメソッド」であることが多かったりするのです。

だからそれは、しばらく経つと、あれほど上手くいっていたヤリ方だったにも関わらず、まるで魔法が解けてしまったように、まったく上手くいかなくなってしまう。

また、この「その場かぎりのメソッド」=「ぶつ切りのメソッド」の恐ろしいところは、積み上げてしまうことによって、ゴルフの迷路にハマり込んでしまう可能性をもっていること。スウィングそのものが、わけが判らなくなってしまうんだね。

心あたりのある人、要注意です。

 

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今朝、祖母の夢をみた。

 

朝、起きて。 部屋が何か優しい感じ。タオルケットが何か優しい感じ。小さい頃に四国の婆ちゃんと一緒に寝ていたときと同じ優しい感じ。寝床が妙に心地よい。

大人になっても、父親になっても、婆ちゃんが亡くなるまで、故郷(四国・愛媛県)に帰るたんび婆ちゃんの部屋で寝ていた。

私の従兄弟達は総じて気の良い人間ばかりだが、幼少期をすぎたら婆ちゃんの内職部屋に寄るようなことも無くなったらしい。大人になっても変わらず婆ちゃんの部屋で寝るのは私だけだったようで、親戚のみんなから「いつまでも婆ちゃんと一緒に寝てあげて」なんて言われたりもした。

私とて、べつに婆ちゃん孝行とかを考えていたわけではなかったが、釣りなどに行かない時の昼間は婆ちゃんの内職部屋で婆ちゃんと話をし、おじや従兄弟達と酒を飲んで寝る前にも、寝床で婆ちゃんと沢山の話をした。 夜遅くなっても婆ちゃんは必ず私を待っていて、暗い部屋で天井に話しかけるようにして、二人で話をした。

私もそこそこイイ歳なってからは、四国からの帰り際には、婆ちゃんの枕下に小遣いを忍ばせた。 けれど婆ちゃんは、そのお金にはいっさい手をつけなかったそうで、まとめては時々、私の親父(関東在住)に封筒にしたため送っていたらしい。 そう言えば私の親父が、「ときどき婆ちゃんが俺に小遣いを送ってくるんだよ♪」と喜んでいた。そのたびに私は、年取った母親に小遣いを送る息子は居ても小遣いを貰って喜ぶ息子は居ない、と、親父に対して腹をたてていた。

孫が祖母に置いていった小遣いを、その孫の親が喜んで使うという間抜けな構図が出来ていた事実を、当の孫は、婆ちゃんが亡くなったあとに知ることになる。

孫も相当な間抜けであります(笑)

 

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ラウンドレッスン、やってま~す。

スタジオでのレッスンだけじゃ、ね。
やっぱり上手になって貰えませんから。

合田洋のラウンドレッスンも、当然のことながらヤッております。って言うか、現状、うちのスタジオで御受けしてるラウンドレッスンは私がメインでヤッておりヤす(笑)
練習場ではそこそこ上手く打てるのにコースに行ったら駄目になっちゃう。なんて人もいるようですが、そもそも私は、そういう実践的じゃないレッスンが好きではない。
レッスンスクールに5年以上も通ってるのに、自己レベルが変わらないなんて人もいるようですが、それは、インストラクターと生徒の目線の高さが違っているか、じつはインストラクター自身がゴルフの何たるかを解っていない可能性が高い。

スタジオでレッスンした内容をゴルフコースに反映する。ゴルフコースで起こってしまうスウィングの問題点をこそ、スタジオのレッスンで改善してゆくんですよ。
ちゃ~んと、うちのスクールを卒業して貰いたいんだよね~♪

上手になって貰って、御自分のゴルフを心の底から楽しんで欲しいから。

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誰なんだ!?

週刊ゴルフダイジェストで連載中の 「オーイ!とんぼ」 という漫画があるんだけど、この原作者、いったい何者なんだ!?
ゴルフスウィングのことのみならず、ゴルフ場の芝の話やコースメンテナンスに亘ってまで、詳しすぎる。ほとんど “読み物” としての領域を超えてまっせ!?

失礼ながら、ちょっと名前を忘れてしまったんですが、たまさかに何度か読ませていただいたんだけど、本当に凄いんですよ。私が言うんだから間違いない(笑)

面白いとか面白くないとか、そういう話ではなく、この原作者の知識の深さに私は大変興味を抱いております。ん~・・・一度お会いしたいですねぇ。

 

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イップスの克服

私がイップスを克服しながらツアーに出続けたことを知っているプロゴルファーは、じつは非常に多い。思い起こせば辛い日々でした。
試合に出ていた当時は勿論、今でも時々、イップスに悩んでいると言っては、私のところを訪れるプロゴルファーもおりますし、当然のことながら、そういったプロ達が引退後は、イップスにかかってしまった自分の生徒さん達にも、私を紹介するといったこともあるわけです。

私の場合、20代の頃にパットイップスにかかり、カップまで20センチくらいの距離が入らないという凄まじい状態にまで落ち込みました。何度も何度も試合にチャレンジすることを辞めるしかないのか?と自問自答するなか、そのパットイップスを克服して、私が日本プロに優勝したことを知っているプロゴルファーは少なくないと思います。
そして、その日本プロに勝利した後、今度はショットイップスが訪れて、我が家の家計と私の精神をボロボロにしたものです。私の場合、テークバックが上げられなくなるというものでした。慢性的だったアプローチイップスを克服したのはツアーを離れてからでしたが、前に飛ばなくなるほどのショットイップスを克服し、優勝こそ出来なかったものの、その後に何度かは優勝争いに絡めるほどになったのを知っているプロゴルファーも少なくはないでしょう。

ゴルフは心のゲームであります。

突き詰めていくなかで、そういった苦悩に苛まれているゴルファーは、プロを問わず、アマチュアのかたのなかにも多いということ。
彼らの言葉は総じて「大好きなゴルフを辞めたくない」というものです。

その気持ち、、、私には痛いほど分かるのです。

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侍プロゴルファー

私は、皆さんがゴルフを知ろうとするなかで、必ずしも私のレッスンを受けて欲しいなどとは思っておりません。
先般、書いたように、確かにゴルフで御悩みのかたが私のレッスンを受けに参りますが、東京には他にも、私以上の素晴らしいレッスンを施しているプロゴルファーは多く存在していると思います。

江連くんのことは既に書きましたが、横田真一くんの「4スタンス理論」というレッスンも大変良いレッスンだと思います。
それぞれの体型や挙動パターン等から紐解いていく動作の特異性を、4つの形態に分類して、ゴルファーそれぞれのスウィングパターンへと導いていくレッスン方法。横田は、昔から非常に頭の良い男でしたから、そういった系統立てたレッスン形態に自分自身のスウィングをも照らし合わせたのだろうと思っています。

横田真一、彼との思い出もたくさんありますが、一番の思い出は、彼に子供が生まれたときのことですね。
あれは秋の3連戦の最中でした。その3連戦は、帰宅せずに三週間を戦い続けるというパターンで参戦するプロ達も多かったのですが、そのときの横田も家に帰らずに頑張っていました。ひょんなとき、横田に子供が生まれたことを聞いた私は、「名前は何にした?」と聞きました。しかし当時の横田は家に戻っていないことを述べて、生まれて暫く経つんですが未だ名づけられていないんです、と私に申します。そこで私は「名前は早く付けてやれ。子供は名前を付けられて初めて魂を頂くものだから・・・」と言いました。その後の横田の反応が素晴らしかったのです。ある意味、苦言を呈したに等しい私の言葉に対して横田は、眼が覚めるような言葉でしたと言い、「ありがとう御座います」と晴れやかな笑顔で言ったのです。

横田真一、通称・ヨコシン。聡明かつ、とても好い人間であります。

広尾にてヨコタベースというレッスンスタジオを営んでおりますが、広尾のほうは既に満員で入会が出来ないとのこと。聞くところによると、銀座に分校があると言いますから、HPのほうからでも問い合わせてみては如何でしょう。

 

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生きたレッスン

「レッスン」というものを、私はこう考えています。

心と心の対峙であると。

単なるスウィングのレッスンや、生徒に威張りくさった押し付けがましいレクチャーは、私の「レッスン」ではないということ。
だから単にスウィングの形やメソッドをレクチャーするといったことは無い。もちろん、誰かに任せて俺ゃ知らん!ってことも有り得ない。
だから私の「レッスン」は現場主義。
生徒さんがたは、それぞれに体力や身体能力または経験が違うのは元より、なによりも性格が違うから、レクチャーを受け止める姿勢やレクチャーを受け止める能力にも差があります。「レッスン」というやつは、じつは、ここが重要です。これは、ゴルフに特化されたものではありません。世に先生と呼ばれるかたがたは数多くいますが、敢えて苦言を呈せば! 「教える」ということは仁術でもあるということです。

優しいとか、上達が速いとか、一生懸命に教えてくれるとか、判り易かっただとか、、、そんなことを生徒さんがたから言われますが、あのね、そんなのは当たり前のことなんですよ。
教える側が、教えられる側の「気持ち」に立って初めて、そのレクチャーは息を吹き込まれる。生きたレッスンになるんですね。

故に、充分にゴルフの経験を詰まれたかたも多くいらっしゃいます。
その方々の悩みは「迷路に入り込んでしまった」というものが一番多い。

イップスにかかってしまったなんて人や、なんとかメソッドで迷路にハマってしまったとか、どこそこの誰それ先生に習ったらボロボロにされてしまったとか(笑)・・・まぁ彼らも悪気は無いのですが。人によって問題点が様々であることを、彼らは判らないだけなのです。

うちのスタジオが駆込み寺的なレッスン場になっているのにも、ゴルフレッスン業界的には大きな問題だと思うのですが。。。

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憧れの地へ

25年前に思い定めていた。
50歳になった年にイギリスに行こう、と。

目的は二つ。
もちろん一つは全英オープンシニアで賞金を稼ぐことだったが、もう一つの目的は、死ぬ前に一度ラウンドしたいと一種の憧れに似た感情を抱いていた『ロイヤルドーノックGC』というゴルフ場を訪れることだったのであります。
その夢が叶えられ私は、帰国後しばらく経った今でさえ、その感慨に浸っている。
まさに奇跡のコースだった。30年を越えるプロ生活のなか、世界中の幾多のゴルフ場をラウンドして来た私だが、その感動を言葉に表せば、奇跡という言葉しか思い浮かばない。

ロイヤルドーノックGCというゴルフ場の起源は1616年である。日本で言えば江戸時代初期。天下分け目の合戦として有名な関ヶ原の合戦から僅か16年後、すでにこの地ではゴルフがプレーされていたということである。
ゴルフコースとして正式に誕生したのは、その後260年ほど経った1877年。9ホールのゴルフ場として誕生した。そして、その9年後の1886年に、セントアンドリュースのオールド・トム・モリスが18ホールのゴルフ場に拡大したと言われている。
その後、1904年にJ・H・テイラーの意見で大幅に改造され、また1921年には、アメリカのパインハースト・NO2コースの設計者として有名なドナルド・ロスが手を加えたという。
ゴルフ場というのが、このようにコースのレイアウトそのものに手を加えられることで、洗練されたゴルフ場へと進化を遂げる場合があることを、私は始めて知ったとも言える。

結局ロイヤルドーノックが“今の形”になったのは、第二次世界大戦後である。
ジョージ・ダンカンというプロゴルファーがコース改造の指揮を執った。ダンカンは長年に亘りコース改造を指揮したと言われているが、結論として、この最終的コース改造は、当時のロイヤルドーノックGCのグリーンキーパーであるバーブ・グラントが構想したものであり、その構想は、ロイヤルドーノックGCの支配人を1883年から1941年まで務めたジョン・サザーランドのコース改造案が脈々と受け継がれたものだったと言われている。
つまりゴルフコースの改造は、その地を知り尽くした人間の構想が入って初めて、真の成功に辿り着けるということが伺えた。
多くの日本のゴルフ場が、かつて、コース改造に失敗を来たし、つまらないコースレイアウトに変貌を遂げているが、そのゴルフ場を知り尽くした人間達が長年の構想から深い愛着を以て手がけたコース改造には“奇跡が起こる”ということを垣間見たのであります。
因みに1921年にコース改造を手がけたドナルド・ロスも、ジョン・サザーランドに師事をしたコース設計家で、ドーノックという地に生を受けた人物でもあった。

さて、ロイヤルドーノックGCと言えば、世界的に有名なホールを思い浮かべる方も多いはずだ。そう。14番ホール・パー4、通称「フォクシー」ホールである。
スコットランド最果てのロイヤルコース=ロイヤルドーノックGCは、コース設計の、ありとあらゆる要素が凝縮されていると言われているコースだが、その18ホールの中でも、ロイヤルドーノックGC固有の形が「フォクシー」というスタイルでもある。
おいおい、このロイヤルドーノックGCの紹介をしていくつもりだから、ここに「フォクシー」の詳細を述べることは省かせていただこう。

 

『憧れの地へ』写真編→ 合田洋ゴルフアカデミーのブログ

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昔のツアーと今のツアーの違い②

シード選手としてツアーに残れば、生活環境がまるで違います。

かつてのプロツアーは、先般も申し上げた通り、シード選手すべてが「一流プロ」という呼称のもとに、日本全国のアマチュアゴルファーから賞賛を受け、全国のプロゴルファー達からも尊敬を集める「スタープレーヤー達」だったんですね。
シード権を獲った瞬間に超有名人。つまり、シード選手全員が、日本のゴルフ界に於けるスターだったということです。
そこに突出した「AONK」といったプレーヤー達が出るわけですから、そのスター性の高さといったら現在のツアーとは比べものになるはずもありません。

幻のメジャートーナメント=日本マッチプレー選手権は、出場選手が32名という、出場するだけで故郷のゴルフファンが郷土自慢できるほどの狭き門戸を持った試合でした。が、かつては、その日本マッチプレー選手権でさえ、シード選手外の選手が出場権を手にし、好成績を修めてスターダムに伸し上がったことも出来たのです。

現在のツアーでは、シード外の選手が通常の試合に出ることが困難で、可能性を求めるとすれば、チャレンジツアーという下部ツアーで翌年のシード権を獲得すること。
しかし、チャレンジツアーの賞金の低さで全国を転戦することは、いわゆる一般家庭の出の人間には難しいことだと言えるでしょう。

逆に全ての試合の門戸が異様に狭いために、一度シード権を獲得すれば、それを失い難いというメリット(シード選手達の)があります。
そういったなか、こういった『事情』が、ツアーの活性化に歯止めをかけているのではないか? と問題提示をする人間も多いのです。
下から上がることを極力排除しようとしているわけですからね。

プロゴルファーの私でさえ、いま誰がシード権を持っているのかが判らないほど、多くの選手にシード権を渡してしまうゴルフツアー。これが、現在の日本のツアー。

夢、皆無。

そんなプロスポーツに憧れる人なんているはずがありません。

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