パッティングの達人を目指す練習法

家人が寝静まった誰もいない薄暗がりの廊下に、コツッ!~カラン!という音だけが響いている…銀色の杖の振り子のような動きによって放たれた球は、一定の速度で転がり、そして一間ほど先に穿たれた穴へと吸い込まれてゆく。
そこには、その銀色の杖を操作する人影があった。
人影は廊下の小窓から射し込む月の光に照らされているが、その表情を読み取ることを決して許してはくれない。銀色の杖を振り子のように操る“動作”に没頭している人影は、余人を遠ざけるが如く、操作そのものに集中し、精神の深みへと埋没しているからだ。
しかし、一球一球の転がりを追い続ける眼は、心臓を貫いた刃が鈍い光を放つように、ユラユラと揺れながら発光していた。それは恰も、その眼光のみが、あたりを照らす唯一の光であるかのように映っている。
また“動作”は、高さ百尋もあろうかという滝壺に落ちゆく一滴一滴を凝視し続ける修験者が、念の力を以てこそ何かを成し遂げられると信じ、己が精神を練り上げる様に似て、ただ黙然と繰り返されていた。それはまるで、操作する銀色の杖に自らの魂を移し、望みを叶える“魔杖”に変えるべき所業とも表現できるだろう。

まぁ、この域まで練習しなければ“極限の場面で入れられるパッティングの力”を手に入れることは出来ないと思ったほうがイイ。
パッティングの練習は上記の通り自宅でも出来るわけだが、具体的な練習方法を述べれば『パターマットの連続カップインを8回~100回ノルマとして達成する』となる。無論、連続カップインが必須条件。失敗すれば、もう一度最初から繰り返すということ。
8回連続は普通のレベル。20回連続は上級者を目指すレベル。100回連続が達人を目指すレベルだと心得よ。
まずは自分のノルマ(連続カップインの回数)を決める。そして、決めたノルマを出来る限り毎日達成すること。ノルマを終えるまではベッドに入ってはいけない。僅か2m強のパターマット練習が、恐ろしいほど己自身を鍛えてくれることに驚くだろう。
期間として、ざっと3年間。いわゆる“千日の修行”である。

「腰が痛くなった」などの“腰抜けクレーム”は一切受付ない。ゴルフの達人を目指す練習方法を紹介したに過ぎないからだ。
そもそも“根性なし”に達人への道を志す資格など無い。

【Gスタジオ&合田洋ゴルフクリニック】

錯覚との闘い

ゴルフコースをラウンドしていて、ときに陥る【罠】がある。
たとえば、ユッタリと右にドッグレッグしている広いフェアウェイの前方やや左サイドに並ぶバンカー群を見て「なるほど、このホールは前方左サイドのバンカーを避けて右方向へとクロス気味に打っていくホールだな」という攻略を立ててみれば、そのティーショットが完璧であればあるほど、どうにもならない2ndショット地点に見舞われてしまったり。また、ティーショットで良いポジションを確保した2ndショットを打つときに、グリーンに立っているピンが、その距離のわりにどうにも遠く感じてしまったがため、好いショットを打てば打つほどピンを大きくオーバーしてしまうことなどである。
これは、そのホールを設計者が設計する際に施した絶妙なランドスケープから生じる『錯覚』という名の罠だ。
このように優れたゴルフコースでは、ところどころに巧妙な罠が仕掛けてあって、その罠を情報として知っておくことはもとより、練習で培った技量や自信などを以て乗り越えていくことも重要な『ホール攻略』となる。つまり良いスコアを出すためには、様々な情報を処理していく力量が問われるわけだ。これこそゴルフが、歩くチェスと呼ばれる所以でもあるだろう。
ところが『ゴルフの錯覚』は、コースをラウンドしているときばかりに現れるものではなく、己のスウィングにも現れるから厄介なのである。

『実際の動きと自分自身で感じている動き(動きの感覚)は、必ずしも一致しない』

スウィングを敢行するにあたり、こう動いているつもりが全く逆の動きとして実際のスウィングに現れてしまう。一つの動きに対して二つの観点が生じるとも言える極めて不可解な現象が、この『実際の動きと自分で感じている動きは必ずしも一致しない』というゴルフ特有の現象であり、古来より、多くのゴルファーを脱出不可能な迷宮へと誘った恐るべき錯覚なのである。
スウィングレッスンでは、この『実際の動きと感じる動きは必ずしも一致しない』という錯覚を埋める作業、すなわち『実際』と『感覚』のギャップを埋める作業が非常に重要となる。これは、クライアント(受講者)との綿密なディスカッションなくしては決して解決を見るものではない。なぜなら、彼らの意識のなかに根強く存在している『感覚』が、正しい動きを行わせてくれないという『実際』を引き起こしているからだ。

山で遭難したときに、あなたは沢を探すなり、下へ下へと下降するだろう。下には町があるし、あなたには常識的に極めて正しい判断だとの自負もある。しかし途中で考えるはずだ。さて、自分は降っているのだろうか?登っているのだろうか?と。ところが山育ちの人間は、先ず高いところに上がろうとする。それは、見晴らしの良い高いところに上がって、自分が何処に居るのかの情報を得ようとするのだ。
ゴルフが上手な人も同じことをする。たとえ遠回りをしようとも、まずは客観的情報を把握しようとする。我々レッスンプロ(コーチ)は羅針盤だ。

結局、錯覚から生じる【罠】の正体は、じつは、あなた自身が、自分自身の枠(常識)から踏み出せないだけのこと。
心の格闘技とも呼ばれるゴルフは、自分との闘いであることは然り、同時に錯覚との闘いでもあるということを忘れてはならない。

 

 

【Gスタジオ&合田洋ゴルフクリニック】

100切りゴルフ

先日、久しぶりに懐かしい友人と会った。彼との出会いは今から20年以上前のこと。市井の練習場で練習をしていた私に、「友達に勧められてゴルフを始めたんですが一向に上手くなれない」と彼から声をかけて来たのである。なんでも「いくら練習しても110stが切れなくて仲間に毎回負けてしまう」らしく、ぜんぜん自信が付かないとのこと。今の目標は? と聞くと、「100stを切りたい。一度でも100が切れれば自信が付いてゴルフが楽しくなると思う」とのことだった。話してみると中々礼儀ただしい人だったし、彼の人間性にも興味を持った私は、レッスン料金はレッスンの後に居酒屋で御馳走してくれればイイと軽く請け負ったのである。もちろんツアーがシーズンオフだったこともあった。
先ずは週1ペースで練習場でのレッスンを5回ほど行って、その後、マンツーマンでのラウンドをした。練習場で、ある程度スウィングの下地を作り、ラウンドでは、彼が打つ毎にボールを何処に置くのか、ターゲットを何処に持つのか、どういう気持ちでスウィングをするのか等々の指示を与えた。そのラウンド中、彼は、私の指示を真摯に全うしてくれたことは言うまでもない。
もちろんミスはあったしOBなども打ってしまったのだが、その日のスコアはというと、52st&46st=98st。
私自身ハッキリと憶えているのは、泣き出しそうな勢いで喜んでいた彼が余りにも印象的だったからだ。なんと、わずか一か月間での100切り達成。ベストスコアの大幅更新である。
ところが久しぶりに会った現在の彼が曰く「合田プロが一緒に回ってくれたときの一回だけ100を切れたんですが、結局、その後は一度も100を切ることが出来ませんでした」とのこと。そして「僕にはゴルフの才能が無いみたいです」と申し訳なさそうに頭を下げた。

賢明なる読者諸氏には既に御分かりのことだろうと思うが、じつは彼は、己の力で100stを切ったわけではなかったのだ。あの時の100切り達成は、彼の持っている技量を使って私(合田)がラウンドしたに過ぎなかったと言えるだろう。ゴルフコースでは、練習場のマットからボールを打つことやバーチャルのシミュレーションゴルフと違い、前方に待ち構える池やOBなどホール・バイ・ホールのロケーションに心が揺れ動かされれば、コース上の様々な状態にあるボールを打つしかない。
すなわち、ゴルフコースをラウンドするということは、あらゆる場面に於ける『対応能力』が求められるということでもある。無論、たとえ100切りであろうとも、相応の対応能力は不可欠な要素であり、その能力を僅かなラウンド数や僅かな期間で身に付けることは不可能だとさえ言えるだろう。

経験を積んで、その対応能力を研く必要がある。たとえ100切りであろうと経験と研究が必要なのがゴルフというスポーツだ。

確かに100stを切ることを目標にトライしているときは楽しく感じるし、多くのハイハンディのアマチュアゴルファーが「100切りを目指して頑張ってるときが一番ゴルフが楽しかった」と回想したりもする。よく聞く言葉だが、さて、そんな仰り方をされている貴殿の現在は『100stを打たないゴルフ』になっているだろうか?
『100を切るゴルフ』と『100を打たないゴルフ』には、それこそ雲泥の差があって、本当の100切りとは、じつは『100を打たないゴルフ』だと言える。
100を切ったことのある人は、今でも100を打つ人。そして100を打たない人というのは、少々ゴルフの調子が悪くとも、そう簡単には100を打たない人である。それはつまり『90stを切れる人』のことを言う。この、通称『ボギープレー』を打破できるようになると、ゴルフは破格に面白くなる。
100切りを目指している時期なんてメじゃない面白さだ。また、90を切れるようになると100という数字がハッキリと遠くなるどころか、不思議なことに、己の上達のスピードに明らかな加速感が加わることを知るだろう。そして・・・なんとなくかもしれないが、ゴルフの何たるかが分かって来たような気さえする。

焦らず慌てずジックリと、当初は100st切りを目指し、ゆくゆく90st切りを目指し、100stを打たないゴルファーになって欲しい。
そういった上達の過程を踏むなかで、気遣いの出来る、周囲の方々に愛され尊敬されるゴルファーを目指して欲しいのである。

 

 

【Gスタジオ&合田洋ゴルフクリニック】

御陰様で。

レッスンに従事して既に11年が経った。既に御聞き及びの御方も多かろうと思うが、小生のレッスン本が出版された。

小生のレッスンは、アマチュアの方、主にアベレージプレーヤーや初心者の方にゴルフを如何に伝えるかに重きを置いている。依頼を受けて彼らの思いに自分自身が納得すればプロゴルファーのコーチをしたりジュニアも診るが、主たるレッスンはアベレージクラスや初心者クラスの方へのレクチャーであり、ゴルフに悩みを抱いている方を如何に導くかにこそ使命感を持っている。
無論、今般の出版も、そういった方々へ「ゴルフの基本的な考え」を御伝えし、かつ「ゴルフの本質」を御伝えするなかで「ゴルフの本当の楽しさや面白さを知って頂きたい」という小生の思いが、日本経済新聞出版社さんに届いたと考えている。

本書の「あとがき」にも書いたが、この本は確かにアベレージプレーヤー脱却のノウハウ本である。
が、実は、少々ならずとも文章や構成、その言葉の使い方などに工夫を凝らしてある。それは、サラッと読めばアベレージプレーヤー用だが、じっくり読みこめば可成りの上級者にも今後のプレーに必ず役に立つという、立体的な作りになっているということである。無論じっくり読みこめば、プロゴルファーとて充分に役に立つ。
つまり、サラッと読めばスルッと頭に入る内容だが、繰り返し読めば読むほど深みが出てしまう内容だと言える。
アベレージクラスのアマチュアの方が読めば、笑いながらスッキリと気持ちよく頭に入るが、プロゴルファーやシングルハンデのアマチュアが読むと難解な内容となって跳ね返り、何度読み返しても理解することさえ難しい可能性が高い。ということで、シングルプレーヤー以上のゴルファーの方が、本書を手にしたときの注意点を記す。

『己に照らし合わせつつ読み解くべし。さすれば今後に光明を見出せると心得よ。その一条の光を頼りに、己を磨くが賢明なり』

本当に、面白い本が書けたと思っている(笑)

 

 

【Gスタジオ&合田洋ゴルフクリニック】

すっかり御無沙汰

約3カ月にも亘り、自らのブログ更新を御ざなりにしていたのには理由がある。
じつは小生、このたびレッスン本を出版できることと相成った。発売開始は、再来月は9月の頭で御座る。
日本経済新聞出版社からの発刊で、バタバタとしていたが、だいぶ落ち着いてきた感じ。特にゲラと呼ばれる全文のチェック作業は大変でした。一冊の本を何回も読み返すに近い作業だったからである。
出版社の編集者は、毎日のようにこういった作業をしているのかと思えば、彼らの御苦労をしのぶばかり。あらためて出版物を作成される編集者の皆さんに感謝の気持ちが湧きあがった。
みなさんには不思議に感じられることかもしれないが、小生、ジャーナリストの方々や、編集者の方々、および執筆活動等に勤しまれている方々の友人が多い。いずれも自分がツアー転戦中に知り合った方々だが、だからと言って小生以外のプロゴルファーが皆、そういった方との交流があるかと言えば決してそんなことはない。その理由の最たるものは、小生が長年、高橋勝成プロと一緒にツアー転戦を行っていたからだと言えるだろう。勝成さんは、当時から、ことのほかメディア関係の方々との交流を大切にし、その勝成さんと同行していた小生も、同様に彼らとの交流を結べたという次第があった。ゆくゆく小生の場合、交流というよりも交遊になってしまい(笑)それがいまだに続いているわけである。
だが、そもそも彼らとの出会いを作ってくれたのは勝成さんだ。振り返ってみれば、高橋勝成プロには感謝の言葉しかない。

高橋勝成、懐かしい名前である。かつて『マッチプレーの鬼』とも呼ばれた名プレーヤー。アマチュアゴルファーでも壮年期を越える方なら、勝成さんの名前を知らない人などいないだろう。
勝成さんからは技術的なことは何も教えて貰えなかったが、ツアーでの戦い方や練習ラウンドの仕方、ツアー開場への移動から宿泊先をどのように選択するかなど、本当に多くのことを教えて頂いた。小生のゴルフ人生に於ける恩人とも言える存在である。
優しい笑顔が印象的な人だが、ことゴルフに対しては本当に鬼のような人だった。ここまで練習するか!?というほどの練習の虫で、その姿は丸で、自分自身を自信の塊に変えたいかのような鬼気迫るものがあった。松山英樹くんも練習の虫と聞くが、松山くん曰く「安心したいから練習するんです」だが、勝成さんの場合、松山くんのそれとは違うように思う。追い込み方が尋常ではなかった。練習に没頭する勝成さんは、プロの小生の眼から見ても「人」には見えなかった。
『努力と自信』という言葉を勝成さんは好み、ファンからサインを求められれば必ず、この言葉を添え書きとし、またこれも必ずだが、サインをした色紙を御返しするとき「ありがとう御座います」と笑顔で微笑んだ。誰よりもファンを大切にするプロゴルファーである。
かつて、勝成さんから「ゴウちゃんは失敗を悔やみ過ぎたり自分を卑下し過ぎたりするところがある。自分のことだけは褒めて讃えて伸ばさなければダメなんだよ。上手くいったら、俺ってスゲェ~ってふうにね」と度々言われたが、小生自身、情けない自分のゴルフをそんなふうに考えることだけは出来なかったのが悔やまれる。

高橋勝成。マッチプレーの鬼は、己に優しく己に厳しい人である。

 

 

【Gスタジオ&合田洋ゴルフクリニック】

左腕の動き

たまにはレッスン物を書かないと、ということで、書く。
題名にある「左腕の動き」を文章にて詳細に述べれば少々難しくなるのだが、大切な話である。出来るだけ簡潔に参る。

ゴルフクラブをスゥイング軸に対してターンさせていくという考え方は極めて重要だ。無論、軸は、身体に存在させるべきものである。
先ず『背骨』。上半身を主体に捉えると『背骨』となる。これは余りにも周知の軸。ゴルフ歴がある人なら誰でも知っていることだろう。そして次に、下半身を主体に捉えた場合の『右股関節』。これが二つ目だ。無論、右打ちの場合だ。左打ちは、逆。
そして三つ目となるものは、腕を主体として捉えた場合の『左腕』である。両腕は、人間の骨格を踏まえたとき、これもまた背骨を軸としたターンが起こるが、ゴルフスウィングそのものにクラブフェースのターンが僅かにでも起これば、左腕を軸線としたゴルフクラブのターンは必須となる。この振り抜きの動作については「回外と外旋」という言葉で表すのが的確だろう。
結論としてゴルフスゥイングは、上記の「三つの軸」が関連し合うことに因って成り立っている身体運動だと言える。

さて、先ずは「回外」という動作。医学用語である。紐解く。

回外:前腕軸を中心にして、手掌を上に向ける運動
回内:前腕軸を中心にして、手掌を下に向ける運動

上記は肘関節の動作であるが、主題が「左腕の動き」である以上、肩関節の動き「外旋および内旋」の説明も必要だ。

外旋:体の前方に向かうある部分を外方へ向ける運動。
内旋:体の前方に向かうある部分を内方へ向ける運動。

肩関節の外旋運動の場合、肘を屈曲して前方に伸ばした前腕を外方へ移動する動作をイメージすると分かり易いだろう。
さて、いよいよ小難しくなりつつあるので、ここでゴルフスゥイングに於ける「左腕が軸となるゴルフクラブのターン」を身体動作の観点から端的に述べてみる。

『左腕は、テークバックでは出来るだけ回内運動を行わず、振り抜きで回外運動と外旋運動が複合的に作用される』、となる。

上記が『左腕』を軸としたゴルフクラブのターンの要諦。
これは今から10年以上も前に、私がツアー転戦をするなかで得るに至ったスゥイング軸の概念の一つである。
当然のことながらだが、だからと言って、この論理だけをアマチュアの方にレクチャーすることが私のレッスンなどではない。上記の言葉を幾ら簡潔に話しても多くのアマチュアの方には面白くもなんともない話だし、幾ら動作の説明を繰り返しても多くのアマチュアの方には何の意味をさえ持たない話だろう。
私自身、何度か雑誌や新聞の記事に紹介して来たし、過去にブログなどにも書いて来た話でもあるが、実際のレッスンでは、スゥイング軸を含めた様々な概念を下地として、アマチュアの方が吸収し易い話でのレクチャーをと心がけている。

 

 

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ウェッジの選び方

先日、週刊ゴルフダイジェストの取材で、ウェッジの試打をしてコメントを述べるという仕事があった。
何十本ものウェッジを試打するのだが、打っていて、さて、このクラブ達の機能を、打ちながら実感できるプレーヤーが何人いるのだろうか? という疑問を持った。ウェッジに限らずゴルフクラブは、いま打った感覚が全てとは言えない。暫く使ってみて漸く、そのクラブの良さが分かって来たりするのがウェッジだったりもするからだ。
因みに私は、ウェッジに関してのみ言えば、単に試打でコメントが出来るプロゴルファーとは別格で、それは以前、ウェッジの製造販売の仕事をしていたなか、勿論、ウェッジの機能に於ける設計監修までをも手掛けていたからである。無論、クラブ設計のエキスパートと組んでの綿密なディスカッションを通じ、当時をして、伝説とまで呼ばれたウェッジを制作することが出来た。
つまり、自分で言うのも何だが、ことウェッジを見る眼に関しての私は、他のプロゴルファーの追随を許さないのである。

さて、ウェッジ選びでアマチュアゴルファーが大切にすべきポイントは、先ず第一に『顔』=フェース形状である。
これはプロゴルファーにとっても重要な要素で、ただしプロを含む上級者の場合、『顔』を形成するにあたるリーディングエッジからネックまでの流れを更に重要視することで、あらゆるライでの打球イメージを明確に映し出すことが出来るようにもなる。それが何故重要かと言えば、ウェッジは他のクラブに比べて遥かに、フェース面を極端に開いたりする場面がプレーのなかに多く現れるからだ。無論、立ち上がり部分の形状や厚み、更に言えば研磨具合、また、面取りなども重要だが、一般には『顔』という表現で包括できるだろう。
人間は感覚の生き物であるが故に、この『顔』が醸し出すイメージはウェッジ選びに欠かせない要素だと言える。

そして次に、上記『顔』選びに平衡して選ばなけらばならないポイントが、ソールの『バンスの高さ』である。
断っておくが、バンス角ではない。フェース面をスクエアにシャフトを垂直に立てたときの、リーディングエッジからバンスの頂点までの高さが、バンス高である。ウェッジは用途に応じて、このバンス高をこそ吟味する必要があるのだ。
ロフト角と一緒に刻印されているバンス角の表示は一つの目安にはなるが、実際に使われるソール面の幅などで、この『バンスの高さ』は幾らでも変わってしまう。同じバンス角でも、バンスの高さが変われば、機能そのものが違ったものになる。
ウェッジの機能に於いて最も重要だと言えるソールは、本当は、その形状(1)と、実際に使われる面の面積、そして『バンスの高さ』で選ばれるべきものである。
バンス高の何たるかを知らない人間は、ウェッジのソールを語ることなかれ。だいたい、メーカーが表示するバンス角だってイイ加減極まりないのが実状でもある。

些かならずとも難解な話になったが、ウェッジ選びに限らず、クラブ選びを語れば、一般ユーザーには難解な話になってしまうのは、ある意味、然りだと言える。優しく詳しい話を聞きたければ、私のところへ来て貰うしかない。
最後に、ウェッジ選びにあたる要点。上記に『形状(1)』と記した要点を、なるべく簡潔に述べる。

☆ソール形状は、ヒール側とトウ側のソール幅を見て、トウ側が広くなり過ぎていないものを選べば、そうそうハズレは無い。

総じてソール形状は、ヒール側が狭くトウ側が広いものが多いが、巷に繁茂するが如きウェッジのなかにも、上記☆の如く設計されたものが必ず存在する。代表格は、キャスコのドルフィンウェッジ、ボーケイのアメリカモデル、クリーブランドの松山英樹モデルなどが、それに値するし、先般見かけたヤマハのウェッジも好いものだった。

奇をてらっただけで、意図された機能も糞もないウェッジを作って実しやかに販売しているメーカーは腐るほどある。
騙されることなく、ちゃんとしたコンセプトに基づいた設計が施されたウェッジを手にしたとき、あなたのショートゲームは確実に進歩を遂げるだろう。それほど、ウェッジ選びは重要なのである。

 

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【Gスタジオ&合田洋ゴルフクリニック】

フィッティングについて

スウィングがある程度かたまってきたら、やはりクラブフィッティングをして、自分に合ったクラブを揃えたいものである。
アマチュアの方の多くは、「プロでもあるまいしフィッティングなんて必要ない」なんて仰る方が多いが、それは大きな誤解である。
寧ろ、練習量に制限のあるアマチュアの方にこそ、クラブフィッティングは重要だ。

プロゴルファーの場合、そもそもゴルフを職業にしているということから、多少自分に合っていないクラブでも、その練習量の豊富さと自己の持つスウィング知識を駆使することで、多少苦しむことはあっても、自分に合っていないクラブを使いこなすことが出来るようになるかもしれない。しかしアマチュアの方に、そんなことが可能かと言えば、答えはNOだからだ。

厳密に言えば、ドライバー、フェアウェイウッド、アイアン、ウェッジは全て別物の道具である。御承知のように、長さも違えば重さも違う。長さが違えばライ角も変わり、重さはシャフトの重さが違うだけで恐ろしいほどの違いが現れる。
だとすれば、なるべく同じ感覚で振れるようにセッティングしておくことも重要な筈だ。

例えて言おう。300Yを軽く飛ばす松山英樹のドライバーを貴殿が使えば、飛ばすどころか、まともに打つことさえ困難になってしまうだろう。これは断言できること。松山英樹のクラブセットで、貴殿がいくら練習しても決して上手にはなれないのだ。逆に松山英樹が女性用やシニア用のクラブセットを使えば、世界で活躍するどころか、ろくなスコアも出すことが出来なくなってしまうだろう。

言わば上手になる為に、クラブフィッティングは有るのである。

 

 

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シングルプレーヤーの悩み

「シングルプレーヤーなのに30台のスコアが出せない」

ことに、片手ハンデ(ハンディキャップ5以下)を取得しているにも関わらず、よほど簡単なコースにでも行かない限りハーフラウンドのスコアで30台のスコアが出せないというシングルプレーヤーにとって、これは一種、切実な悩みだと言えるだろう。
確かに、ある時期、ある数ラウンドでは、ちゃんと30台のスコアを並べられたのだ。周囲のアベレージプレーヤーからは、本来まるでプロゴルファーの如く映るハンデ5以下(片手シングル)のゴルファーにも関わらず、自己分析をすれば、自分は明らかにハンデ10以下のゴルファーなのである。

「何年も前に取ったハンデだから」

これが、上記の悩みを抱えているシングルプレーヤーの大方の弁だ。言い訳にも聞こえるが、決してそうではない。本人は、ラウンド毎に誰よりも傷付き、傷心のなか、ゴルフ場からの帰りの車のなかや翌日に会社に通勤する車内で、悶絶の自問自答を繰り返す。
取引先のコンペで、ドライバーは曲がるわ飛ばないわ、アイアンはダフりばかり、ウェッジでもグリーンを外す有様で、頼みの綱のパッティングでも1mの距離を3回も外してしまえば、グロスで90を切れずネットも90ストローク。ラウンドするのが初めてのハンデ36の初心者にさえ負けてしまい、周囲の眼が「(昔は上手かった人らしいよ)」と言っているように見えてしまう・・・パーティの席で平静を保つのが困難極まりなかったのは、つい先日のことだ。

「もう誰にも相談できない」

これが、上記の悩みを抱えているシングルプレーヤーの心の声だ。
昔のアマチュア仲間には散々アドバイスを貰ったが、この状態は一向に改善されない。近所の練習場のインストラクターに相談したら、もともとシングルプレーヤーであることを信じてもくれない。
結局、誰にも相談できなくなってしまった。。。

しかし、である。そんな気持ちを分かってくれるゴルファーは必ず存在する。悩みを独りで抱え込まないことは、ゴルフというスポーツにとって有意義なことなのである。

 

 

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【上級者用】ゴルフの不思議

いつも73st。
ショットがビシビシと決まるときには、なぜかパットが決まらない。逆にパットが入るときには、ショットのほうが右往左往してしまう。なぜか73stで留まってしまう。ショットもパットも充分に60台を狙えるポテンシャルに在るというのに。

まったく不思議な現象である。

この現象は、上級者のゴルフに限らずアベレージプレーヤーのゴルフにも起こる。なぜか必ず101stになってしまう等が、それだ。
今日は1番ホールからショットが好調で、パットもビシビシ決まっていたのに何故か途中で大叩き。終わってみたらいつも通りの101st。いったい何なんだ? ってことなども起こり得るだろう。

これは、好調なゴルフの状態に対して、自己の観念が追い付いていないことにも由来している。では、その自己観念は如何に磨いていくのか? じつは、これこそがゴルフの上達(スコアアップ)に必要不可欠な要素であり、ショットやパットの技術分野の伸ばすのと並行して伸ばしていかなけばならない分野なのである。

上記73stのプレーヤーは、なぜ73stのプレーヤーなのか。
それは、自己の潜在的な部分で73stを破る ‟準備が出来ていない” ということであり、ショット能力やパット能力など技術の欠如ではない、言わば ‟ゴルフ力の欠如” だ。

ショットあるいはパットが不調な状態にあるときにも、それなりのスコアで上がって来る人がいる。彼らは、ショットやパットが好調なときには、周囲がビックリするような快スコアで上がって来る。

 

 

【Gスタジオ&合田洋ゴルフクリニック】