最近の・・・

「最近の若い者は」というフレーズは、昔から度々使われていた。
賢明なる翁が、若い世代や壮年期にある世代の人間を捉えて、「最近の若い者は」と、それは恰も「最近の世相を憂ええた溜め息」のように映ったに違いない。つまり「最近の若い者は」というフレーズは、じつを言えば「最近の世の中は」という憂いであり、賢者たる翁の溜め息とも言えたのだ。しかも、それが、4000年以上も前に建造されたピラミッドの片隅にも、クサビ形文字を用いて「最近の若い者は」と書かれてあることを知れば、いつの時代も、どの国でも、時代の変遷のなかに賢者の溜め息は連綿と続いて来たと推測することが出来る。人は生まれ、そして死ぬ。生まれ出で、懸命に生きるなか、長年の経験から培われた賢明なる翁の目を通して見れば、いついかなる時代も憂いて然るべき「人の拙さ」が確かに在るのだろう。

しかし日本の昨今、この「最近の若い者は」というフレーズが、どうやら少し変わって来たような気がする。「ブレーキとアクセルを踏み間違えた!?」そういった報道などを目にする。やれ高速道路を逆走する、やれ歩道を歩く登校児童を車で薙ぎ倒す、やれ車で店舗に突っ込む、それはもう、かつて賢明なる翁が憂えた「人の拙さ」では済まされない恐ろしい社会現象ともなっている。その無軌道さは後を絶たない。つい先だってスーパーマーケットで見かけた御老体が「今から買うんだから何が悪いんだ!」と店員さんに向かって憤っているのだが、いくら「今から買う」と主張しようとも、レジで精算する前の食品を食べてはならないのは常識のはず。しかし、その店員さんの言葉を御老体は聞く気もなければ理解しようとする気もない。
そう、現代日本では「最近の老人は」なのである。

若者よ。「そんなのボケ老人だから起こるんだよ」なんて言葉で事を済ませてはならない。現在の日本は、かつてない高齢化社会を迎えているのだから、いずれ貴殿も渦中の人となる。そう言う私も当年54歳という年齢であるからして、そう遠くもない未来に渦中の人となる。

四季折々を身体で感じ、書物を通して教養を深めよう。新しい何かを勉強してみよう。そして、樹木の声に耳を傾けながら若者達の未来を考え、潮風を受けつつ己の過去を省みよう。経験があるからこそ、故きを温ねて新しきを知ることが出来る世代でもある。
私を含め、これからのシニア世代は「聞かせよう」とするよりも『聞こう』とする心を持つべきではなかろうか。。。

 

 

【Gスタジオ&合田洋ゴルフクリニック】

『一打一会』

ゴルフは『道』である。常々そう思う。日々そう思い知らされる。

「スポーツは人間形成に役立つ」これはスポーツ全般に言えていること。しかしゴルフほど、人間の人格を鍛える(若しくは試される)スポーツは無いのではなかろうか。。。

逆説的な話になるかもしれないが、人間形成という点に於いてゴルフは、少なからず危険なスポーツでもあるからだ。
ようするに「踏み外すこと」が多々あるからである。『道』であるからこそ踏み外す者が出て来るとも言える。
上手くなれば、心に驕りが生じてしまうのは如何なるスポーツにも言えていることかもしれないが、ゴルフほど驕慢に陥りがちなスポーツは無い。これはゴルフの暗黒面だと言えよう。

ゴルフが上手いだけで、なんでも出来ると勘違いするのだ。
彼らの言動は鼻につくこと然り、プロゴルファーのなかには大学を卒業してすぐ、社会人としての経験を積まずして一年間に何千万円と稼ぐようになることで人格的に明らかに壊れた人間となってしまう。アマチュアゴルファーのなかには、その驕慢さがゆえに、ハイハンデの方々を「一般アマチュア」などと蔑むような言い方をする人間となってしまう。上記の者達は、ゴルフの道を踏み外した人間だ。彼らは総じて、対人間に対する場面に於いて、敬意はおろか敬語さえ失する場合が殆どである。

『道』あるところに『師』あり。
『師』あるところに『守破離』あり。
『守破離』すなわち『学び』なり。
『学び』あるところに『謙虚の心』あり。
『謙虚の心』あるところに『敬意』あり。
ゆえに『道』を歩む者、対人にして『敬意』をこそ尊ぶべし。

『敬意』とは、人を尊重する心。一期一会という言葉があるが、ゴルフの場合は一打一会も大切な心。
一期一会と一打一会の心を以って、プレーが出来る感謝のなかに己を高めたい。プロ、アマを問わず、ゴルファーたる者かくあるべし。

 

 

【Gスタジオ&合田洋ゴルフクリニック】

久々の一献

週刊ゴルフダイジェストで連載中の『江連忠・新モダンゴルフ』というレッスンコミックを御存じのかたは多いと思う。
江連プロが先ず一言を発し、その意味を分かり易く漫画を通して読者に伝えるというレッスン連載である。
江連プロの他にも彼のレッスンスクールのインストラクターを始めとした様々なキャラクターが登場するが、その中で異彩を放つ「山中さん」と呼ばれる登場人物がいる。この山中さんは、ともすれば硬くなりがちなレッスン物の連載に、絶妙とも言える笑いのエッセンスを加える非常に味わい深いキャラクターだ。既に御気づきの方もいると思うが、作中の「山中さん」は、このレッスンコミックの原作者=山中賢介さん御本人である。
じつは、この山中賢介という名前はペンネーム。したがって本名は別にあるが、最近の私は、この山中賢介さん御本人と会うたびに、ついぞ「山中さん!」と呼んでしまう有り様である。それほど、作中の山中さんは印象的なキャラクターとも言える。
ずっこけ加減が尋常ではない作中の山中さんは、一般的には有り得ない人物像である。そう、だからこそ笑えるのだ。
この山中さん=山中賢介さんと私は30年以上前からの友人である。
無論、これまで幾度となく一献を交わし交流を深めて来た御人であるが、数年前から忙しくなり、場面場面で会ったりはするのだが中々一献を交わすとまではいかなくなっていた。
歳を重ねることに因って、自分自身の身体でありながら、身動きがママならなくなることは多々ある。

そんななか先般、その山中賢介さんと仕事が一緒になり、仕事が終了した後、新橋の居酒屋で久しぶりの一献を傾ける機会を得た。
近況を手繰る話のなかにも懐かしい気持ちが去来する。山中賢介さんは相変わらずだ。作中の山中さんを地で行く御人柄である。ずっこけかたも昔と何ら変わらない。磊落に笑い続けながら杯を干していく山中賢介さんとの晩は深まっていった。
旧知との一献に互いの近況を知り、また昔話に花を咲かせられるのは人間の特権だと感じた次第もあった。
楽しい晩でした🎵 ありがとう山中さん。

山中さんは現在長野県に住み、農業を傍らに執筆活動を行っている。

 

 

【Gスタジオ&合田洋ゴルフクリニック】

「競技用」という規制を。

ゴルフの長い歴史のなかで、様々なゴルフクラブの規制(用具規制)が、変更されたり追加されたりした。
それはクラブ開発が進むなかで「ボールの制動」を司るゴルフクラブが、プレーヤーの技量向上に必ずしも適さない用具として進化を遂げてしまったと判断された場合に起こった、というのが私見である。
クラブを使ってボールを打ち放ち、また転がして、カップと呼ぶ地面に穿たれた穴(ゴール)にボールを収めるという作業をおこなうゴルフは、まずはボールという用具ありき、そして「14本」という使用本数制限のあるゴルフクラブという打球用具の一本一本に、それぞれの特性を持たせて、その時点に於けるボールが置かれた場面場面に対峙していくスポーツである。
ゆえに、それぞれのクラブの飛距離、どれだけのスピンをボールにかけるか、その飛球をコントロールできるか等、プレーヤー個人のスキルや技術によって為される「ボールの制動」に、用具そのものが、その個人のスキルの範疇を凌駕してしまえば、それは明らかにゴルフがスポーツとしての競技性を失ってしまい、興味深いスポーツでは無くなってしまうとも言える。
つまり、飛ばすための肉体のスキルアップや、飛球をコントロールするための練習が意味を為さなくなってしまうのである。

現在ゴルフが抱えている問題の一つに、用具の進化によって、飛距離が大幅に出るようになったということがある。これは、今後の競技ゴルフ(プロゴルフツアーのみならず倶楽部に於ける月例競技なども含む)に、徐々に、しかし確実に、大きな影を落とす要因となり得るだろう。その理由の最たるものは、用具の進化によって飛距離が大幅に伸びたことによって、相対的にゴルフ場が短くなり過ぎてしまうことで起こる、『ホールの短尺化現象』に他ならない。
今から数年前、ウッドクラブの反発規制や長さ制限が起こり(飛距離増大の制御)また、フェース面の溝規制などが起こった。しかし、ここで私の考えを述べさせて頂けば、いま最も規制を要する点は『飛距離追及型の用具』に更なる一石を投じること。それはボールに対する規制も然り、クラブに対する規制も然りである。

そこで提案がある。
例えば、ゴルフクラブの重さ。少なくとも競技ゴルフに於いては(男子60歳以下の競技ゴルフと定義しても良いだろう)クラブの総重量(一本のクラブの重さ)を「380g以上かつ580g以下」に規制する。併せて、長さに対して「43インチ以下」といった規制を加えるのである。長さに関しては、「60度測定法で測定したとき」など測定方法にも規制を加えたい。
また、これは予測だが、現在のボールに規制が加わらないと仮定すれば、上記「重量の制限」と「長さの制限」を新たな規制として施せば「使用本数制限」にも、現在の14本から12本あるいは10本などに見直すべき点が生まれるだろうと考える。

そもそも、ウッド系クラブのクラブヘッドを「木製に限る」と断ずれば、全ての問題点は解消されるような気もする。。。だいたい名称が「ウッド」なんだから、木でしょ。
職人技とも言える木工製品を、鋼鉄を使った工業製品にしたのは如何なものだろうか。

 

 

【Gスタジオ&合田洋ゴルフクリニック】

2018

以前にも書いたが私には4人の子供達がいる。つまり私は、6人家族のオヤジである。
家族の仲は極めて良好。私は知らなかったのだが、4人兄弟が時々集合して駅前の居酒屋などで兄弟水入らずの酒宴を開いたりしているそうである。そんなときはオヤジやオフクロが邪魔者なのは、子供として健全の極みなのではなかろうか。
無論、夫婦仲も良好である。夫婦仲については、この4人の子供達が総じて「理想の夫婦」と評するくらいだから本当に好いのだろうと思うが、当の我々夫婦にとっては当たり前すぎて、いまいちピンとは来ていない感じである。

長男は公務員として就職して十年にもなる。既に立派な大トラとなっていて、この長男と時々酒を飲むのは私の楽しみのひとつだ。
長女は二年前から看護師として病院に勤務していて、彼女が二十歳を迎えるころからオヤジと娘の関係は非常に良好なものとなっている。次女は今年の3月で看護師の学校を卒業する。既に就職先も決まっているが、上記長女とは裏腹に昔からオヤジに優しい娘だった。この二人の娘達は大変頼れる存在に成長しつつあることに疑いはない。
次男は昨年就職しているが、兄貴の後を追ってなのか同じ公務員である。「男子三日会わざれば刮目して見よ」とはよく言ったもので、成長著しい闊達とした男児となっている。

この子供達が小さい頃には、まずは親の話を聞かせることが大切だったが、昨今に至っては、我々夫婦が彼らの話に耳を傾ける場面のほうが多く、請われでもしない限り口を挟む機会が少なくなった。
べつに「老いては子に従え」を意識して実践しているわけでもない。そもそも我々夫婦とてまだそれほど老いてなどいないのだが、子供達は成長したし、彼らの近況や考え方の変化、また、嬉しかったことや辛かったことなどを聞いているのが楽しくあるということである。

さて2018年を迎えるにあたり合田家は、この6人の家族が揃って、大変賑やかな年末年始を迎えた。
やはり以前にも書いたが、我が家族の正月は、近隣の小高い丘に鎮座する医王山という不動院から、家族みんなで初日の出の御来光を拝するところから始まる。子供達がほんの幼少の頃から、そこまで皆でランニングで上がる(女房だけは後から車で追いかける)のを元旦の恒例行事としているのである。
子供達が小さい頃は、その往復3キロ弱の距離が彼らにとって中々長い距離だったが、今に至っては非常に短い距離となった。
そのじつ私にしてみれば、ちょっと短か過ぎる距離なので、今年は少し早めに家を出て、5キロほど遠回りをしてから子供達の待つであろう不動院に向かった。
日の出の10分程前に不動院に到着してみると、はたして子供達は4人とも既に到着を遂げていた。やがて女房の車も到着し、家族みんなで今年の御来光を拝した次第である。その後、息子はランニングに出かけた。息子も走り足りないと感じていたのは言うまでもない。

ところが、そこで娘二人から叱責を受けてしまった。
「みんなで走るのが大切なんだからダメだよ!おとう。お兄も“協調性がない”って怒ってたよ!」ということである。

2018正月早々、子供達から一本取られてしまいました。
そういえば、かつて、坂道の途中でヘバってしまった次男を、長男が背負って走っていたこともあった。
彼らにとって、初日の出の御来光を拝することが家族の恒例行事なのではなく、そこに至る道程までを含めてが恒例行事。みなで一緒に家を出発して、互いが互いをフォローし合いながら走り、家族みんなで一緒に御来光を拝む。その一連の流れをこそ彼らは大切にしたいと考えていたのだ。それは、「形」だけではなく「過程」をも大切にしたいという思いである。

事実として子供達に怒られはしたが、結果的に、親として、ことのほか嬉しい出来事であったことは確かである。

 

 

【Gスタジオ&合田洋ゴルフクリニック】

マスターズウィーク到来

桜も開花を遂げ、すっかり春めいている。さて、今年もマスターズウイークが近づいて来た。
昨今の日本ではマスターズの開幕と共にゴルフシーズンに突入という雰囲気がある。

1978年から、マスターズトーナメントだけはTVに噛り付いて観戦し続けてきた私だが、東京にスタジオをオープンしてからは、その楽しみは見事に奪われている。それは、会社で借りた東京の社宅の部屋にTVを設置していないからだ。
一年のうち約350日をスタジオに詰め、経営を軌道に載せようと頑張っているなかで、TVを観る時間などは惜しいという観点から、TVの無い部屋での暮らしが既に2年以上も経過した。。。時代錯誤も甚だしい話。誰が聞いても「時代錯誤」だと誹るだろうが、ここにきて、ちょっと頑張り過ぎた感は否めない。流石に疲れたきた自分を実感する今日この頃でもある。
しかし、そんな牢屋に入れられているような生活にあっても、世界のゴルフトーナメントには注目していて、ネットの情報を頼りに、その情勢は逐一仕入れるようにしている。それは、トーナメントプロたる自分を維持するためかもしれません。

さて今年のマスターズ。期待は、松山英樹の活躍である。
日本のみならず、世界中のゴルファーが松山英樹に注目しているのが今年のマスターズトーナメント。
待ち遠しかったこと、この上なしだ。今年は誰が勝つのか。

春の夢の祭典。開幕まで、あと僅かである。

 

 

【Gスタジオ&合田洋ゴルフクリニック】

松山英樹は凄いヤツ。

ときどき聞かれる。「松山英樹と石川遼は、どちらが凄いの?」

私の見解を述べれば、そもそもどちらも天才的な素質を持ってはいたが、その天才性に関して言えば石川遼のほうが上だったように思う。高校時代の松山英樹が、ここまで活躍するプレーヤーに成長すると誰が予測し得たであろうか。
天才的なゴルファーは毎年のように台頭して来るし、丸山茂樹や池田勇太なども天才プレーヤーの一人。旧くは川岸良兼、もう少し旧くは現PGA会長の倉本昌弘さんも天才的素質を持っていた。
無論、天才にも色々と居て、凄い天才から底々天才、ショットの天才やパットの天才なんてのも居るはず。そんな歴史上の天才達と比べても、石川遼は間違いなく『逸材』と呼べる天才だったし、その素質の高さは他の追随を許さない。

しかし現在、石川くんにとって松山くんは、余りにも遠い「高みを歩む存在」だ。石川くん自身が、そう感じているはず。
松山くんは既に日本のゴルフ史上、最も優れたプレーヤーなのだ。
齢20台半ばにして、既に、である。しかも、この成長は今後も暫く続いていく。暫くは松山英樹が歩む後ろ姿を、今後に台頭する日本人プレーヤーは視界に入れることさえ出来ないだろう。
それほど松山英樹は、これまでの日本人プレーヤーが羨望の眼でしか見ることが叶わなかった「高み」を歩んでいる。

そんなスーパープレーヤーを誰と比べることが出来るだろう。
ローリー・マキロイ、ジョーダン・スピース、ジャスティン・トーマス、ヒデキ・マツヤマ。この4人は、今期のUSPGAツアーのイチオシの存在。ステージが違い過ぎるのだ。

つまり、松山英樹は別格なのである。

 

 

【Gスタジオ&合田洋ゴルフクリニック】

My師匠

私に限らず、プロゴルファーには必ず『師匠』が存在している。
恐らく、プロゴルファーに限らずアマチュアでも、上級者であればあるほど必ず『師匠』と呼べる人間が存在するだろう。
無論これは、ゴルフに限らず、あらゆるスポーツの世界でも然り。
否、スポーツの世界ばかりでは無いはずだ。

唯一私が「プロ」という代名詞で呼んでいる人物は、宮本忠男を置いて他には居ない。宮本忠男は、かつての龍ヶ崎カントリー俱楽部の所属プロであり、高校を卒業して龍ヶ崎カントリー俱楽部にアシスタントプロとして入社した私を、徒弟制度的な観点から徹底的に鍛えたプロゴルファーであり、私の最も敬愛する友人の一人であり、私と女房の仲人でもある私の師匠だ。
宮本プロは昭和14年7月生まれの77歳。龍ヶ崎カントリー俱楽部で最初にプロテストに合格したプロで、昭和33年に龍ヶ崎が開場して以来、初代プロ=井川栄造の下で修行を積み、30歳のときにプロテストに合格した苦労人でもある。
そんな宮本プロを師匠に持った私の修行時代は、毎日のプロ室の掃除から始まり、師匠のクラブ磨きから靴磨き、洗車などは当たり前。マスター室業務と練習場の球拾いやキャディを熟すなか、それらの作業&業務の合間を縫って「練習させて貰う」というのが日常だった。
運転免許取得とマイカーはプロテストに合格するまでは御預けだったから、買い物や散髪などには全て自転車を漕ぐ。公然と練習できる日は、キャディにあぶれてしまう雨の日だけだったので、「長靴を履いて練習する研修生」と、他の社員にからかわれたものだ。なにしろ車を持っていないから、ゴルフ場が終わった後に近隣の練習場に行きたくとも行けない。そんな私に宮本プロは「朝、明るくなるのを待ってラウンドすればいい。夜、月明かりでも素振りが出来る。俺に黙って近所の練習場になんか行ったら必ず破門にする」と、とにかく自分で時間を作り龍ヶ崎カントリー俱楽部内で練習をしろ、と厳しかった。
プロ室の掃除や、自分のクラブの掃除、靴磨きなどを怠れば、私のクラブセットはゴミ捨て場に捨てられた。会社の業務が忙しいなどという言い訳は全く通じない師匠だった。

そういう師匠の御陰で自分の時間を作ることが上手になった私は、今でも、どんなに忙しい最中にあっても、定期的に宮本プロと一緒にラウンドをしたり、一緒に酒を飲んでは話をしたりする。
最近の酔っぱらった我が師匠は、度々「お前はゴルフは下手だったが根性だけは天下一品だった」と口にし、お前と出会えたことを神様に感謝している風のことまで口にするようになった。
歳だなぁ、プロも・・・(笑)
龍ヶ崎カントリー倶楽部でプロテストに合格したのは、宮本プロと私の二人だけ。師匠と私の『龍ヶ崎プロ会』は、きっと、どちらかが死んでしまうまで続くのだろう。

宮本プロ、いつまでも元気で長生きして下さいね。

 

 

【Gスタジオ&合田洋ゴルフクリニック】

子供達への教え

つい先日、車座になって子供達と話をした。
子供達といっても、もう24歳、22歳、20歳、18歳という年齢だから、4人の我が子は殆ど成人の域にある。

私は子供達を教育するにあたり、彼らが小さい頃から、『人として守るべきこと』という点に重きを置いて、本当に幾度となく同じ話をし続けて来た。もはや彼らにとっては耳にタコの話かもしれないが、とは言え、こういった話は何度聞いても聞き足りるということはないのかもしれない。何故なら、それは、いつだって弱い自分にたいする戒めともなるからだ。

今回は「お金」の話である。
お金は、確りとしたモラルを持たないものが多く持ったとき、お金そのものは、その人間の人生を決して豊かにはしてくれない。
お金は、ある意味、非常に危険なものでもある。分を過ぎた金銭を得て、人生を台無しにした人だってあるはずだ。ギャンブルで得たアブク銭は身に付かないし、親から与えられたり、誰かから盗んだ金銭も決して自分を幸せにはしてくれない。
そこで「お金=幸せ」にする方法の話をしたわけだ。それは、「お金を得るために仕事をする」=一方的に「与えて貰おう」とするのではなく「仕事を確りと熟すことで、お金を得る」=「与えることで報酬を得る」という考え方を持つことだと。
それは、こういう言い方も出来るかもしれない・・・「仕事から多くのことを学ぶことで、お金を得る」とも。

中身をある仕事をする人間は、お金を得るためだけに仕事をしてはいない。一方的に「与えて貰おう」とする人間は、夫婦関係だって悪くするし、親子関係だって悪くする。本当の友達だっていない。
人間性の問題であるから、万事同じなのである。

 

 

【Gスタジオ&合田洋ゴルフクリニック】

オリンピック競技としてのゴルフ

先般リオでのオリンピックが閉幕を遂げた。日本選手団の獲得したメダル数は41個。彼ら彼女らの、その素晴らしい成績に、それぞれの競技に於ける選手達が己の血を絞るが如き努力と青春を賭けた4年間が垣間見え、大きな感動に涙した視聴者も多かったはずだ。
まさに感動のリオだった。
さて、このリオで開催されたオリンピックで、112年ぶりにゴルフが競技種目として復活した。
私はゴルフに関わる者として喜びにたえなかった。。。

さてさてゴルフ、成績については皆さんが御存じのことなので、ここでは割愛させて頂くが、日本の男子&女子ともに頑張ってくれたとプロゴルファー・合田洋としては彼らの労をねぎらうばかりである。
ただ今回、オリンピック競技としてのゴルフの在り方には、些かならずとも疑問を感じるを禁じ得なかった。

なぜ、出場選手がプロゴルファーだけの競技だったのだろう?

言わせて貰えば、プロ部門とアマチュア部門の2種目で男子と女子の競技として復活させて貰いたかったくらいだ。
そして、ゆくゆくはアマチュア選手のみの参加競技として確立させて欲しいとも思っている。オリンピックは「プロのもの」ではない。

テニスを含む他の競技について私が述べる術はない。
しかし、ことゴルフに関して言えば、プロゴルフとアマチュアゴルフは根本的な部分が違っているからか?
ハスラー(Hustler)という言葉を御存じだろうか。
辞書を紐解いてみると「賭けビリヤードを行って生計を立てる人」とあるが、ゴルフに於けるツアープロを端的に表現すれば「賞金の懸けられたゴルフ競技で生計を立てる人」となるわけだから、ハスラーの生計の立て方と大差はない。結局プロゴルファーはハスラーと殆ど同類の競技者であり、アスリートと例えるには遠く及ばない存在だと言えるだろう。(※「ツアープロ」は和製語)
無論スポーツマンとしてのツアープロを否定しているわけではない。
ただ私個人としては、アマチュアゴルファー=賞金を奪い合うゴルフで生計を立てていない「運動選手としてのゴルファー」のプレーをこそ、オリンピックで観たかったということなのかもしれない。
オリンピックに懸ける気持ちが強い者にこそオリンピックという存在が有意義だとも言えるからだ。

はっきり言おう。ゴルフ競技に参加した日本の選手から、オリンピックに懸けるべき気持ちは何も伝わって来なかった。
それは、精神性の問題である。マイクに応える彼らの姿勢、コメントの内容にも幾度となくガッカリした。
オリンピックは、日本全国民の期待を一身に背負って臨む場なのである。糞のような言い訳も自分の中に取っとくべきであったろう。

 

 

【Gスタジオ&合田洋ゴルフクリニック】