私は『頑張る』という言葉が好きなのだが、人によっては「頑張る」なんて、日本人の悪しき表現の一つだなどと、あしらうが如くに否定したりする。
そんな時、この人は若い頃や壮年の頃に、頑張るということに辛い思いをしたに違いないと考える。自分の頑張りが報われなかったことで、心が傷ついてしまったのかもしれないと気の毒に思うのである。
人は他の生き物とは全く違った一面を持つ。
自分の頑張りを誇れる生き物なのである。そんな生き物は地球上に人間以外は存在しない。
辛い時には自分を見つめ直してみる。そして、何かに対して頑張った自分を認めたとき、決して逃げなかった自分を認めたとき、軽い自信に包まれ始める自分が居ることに気付くはず。
それは誰かから与えられた自信ではない。偶さかに与えられた自信でもなく、仮に小さくとも価値のある自信である。ここに報われるとか報われないなどというレベルの心情はナンセンスだ。プロセスは大切ではないというのなら別だが。。。
もし、あなたがプロセスは大切だと言うのなら、『頑張る』ことに価値を見出だし、生き甲斐をさえ見出だせる。
それは人にだけ与えられた特権と言ってよいものなのだ。
『頑張る』ことが無意味だと感じる時は、誰にでもある。
結果の出ない頑張りを「意味のないもの」「時間の無駄だった」と、そう捉えざるを得ない時は長い人生には必ずある。そんなときこそ“頑張った自分”を振り返ってみることだ。そして今一度、自分自身を奮い立たせるのである。
頑張ることは決して自己満足などではない。
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