東京に居を移してから五年が経った。相変わらず、ぶら下がった衣類に埋もれるような狭い部屋で、TVも無い生活を送っている。
仕事の無い日は主に読書をする。時にネットで様々な映像をみたりニュースをみたりもするが、そんな生活の場にあって有意義だと感じる時間は隅田川の護岸に出るときである。隅田川の四季に接するようになってから、五年の月日が流れたということだ。
ときおり人に、なぜTVをさえ置かない生活を続けているのかと問われることがあるが、その答えは決まって「修行中」といった類いのことを笑いながら伝えるに留めている。正直、己自身でも、なぜ出来るだけ快適な生活環境を作らないのか、それを不思議に感じている。正直、自分でも分からないのだ。快適とは程遠い生活環境に身を置くことを潔しとしている。現在にあっても、そう思っていることだけは確かだ。
ツアーを引退して十三年を数えるが、引退後十年間に亘り積極的に歩くことをさえしなかった筋肉は著しく衰えて、一頃には100㎝のウエストに95キロの体重を抱える始末。ラウンドに行っても疲れが酷く、その翌日には熱が出るほど疲労した。普段の生活にあって膝がピシピシと音をたてれば、ときに不整脈にも苛まれる。仕事に於ける精神的苦痛とも相俟って、心身ともにボロボロの状態。50歳前後の身体に様々な疾患を隠していることは明白だった。ひょっとしたら、とある朝、何の脈絡もなく死んでいる自分が居る可能性を充分に想像できたのである。
そんな者が試合に復帰するなど夢のまた夢。
ゴルフから離れてデスクワークを主とした職に就いた十年という期間は、重ねた年齢とともに、ゴルフというスポーツを過酷に感じさせる時間として余りあるものだったのである。
若年の頃より追い求め続けた道。それとは違った生々しい人間関係を過ごすとも言える “その時間” の中で学んだことは、周囲の偉そうな人間から聞いていた其とは大きく異なり、多くはなかった。また貴くもなかった。
突き詰めれば、人間という生き物は利害で動く、という至極基本的で簡素なものでしかなかったのだ。
齢50を越えた自分が “その時間” の中で至った心境を述べれば・・・【動物は凄いよ。気持ちでしか動かない。まぁ、食べるために金は必要だが、金なんざ旨いものを食えるぶんだけ有れば充分】・・・である。(笑)
呆れたことに、巡り巡って『心でしか動かない人間でありたい』という自分に戻ってしまった。
現在55歳。敬愛する友が亡くなってから五年。
修行の中に過ごす。
人間、死ぬまで修行なんだと常々思う。