100切りゴルフ

先日、久しぶりに懐かしい友人と会った。彼との出会いは今から20年以上前のこと。市井の練習場で練習をしていた私に、「友達に勧められてゴルフを始めたんですが一向に上手くなれない」と彼から声をかけて来たのである。なんでも「いくら練習しても110stが切れなくて仲間に毎回負けてしまう」らしく、ぜんぜん自信が付かないとのこと。今の目標は? と聞くと、「100stを切りたい。一度でも100が切れれば自信が付いてゴルフが楽しくなると思う」とのことだった。話してみると中々礼儀ただしい人だったし、彼の人間性にも興味を持った私は、レッスン料金はレッスンの後に居酒屋で御馳走してくれればイイと軽く請け負ったのである。もちろんツアーがシーズンオフだったこともあった。
先ずは週1ペースで練習場でのレッスンを5回ほど行って、その後、マンツーマンでのラウンドをした。練習場で、ある程度スウィングの下地を作り、ラウンドでは、彼が打つ毎にボールを何処に置くのか、ターゲットを何処に持つのか、どういう気持ちでスウィングをするのか等々の指示を与えた。そのラウンド中、彼は、私の指示を真摯に全うしてくれたことは言うまでもない。
もちろんミスはあったしOBなども打ってしまったのだが、その日のスコアはというと、52st&46st=98st。
私自身ハッキリと憶えているのは、泣き出しそうな勢いで喜んでいた彼が余りにも印象的だったからだ。なんと、わずか一か月間での100切り達成。ベストスコアの大幅更新である。
ところが久しぶりに会った現在の彼が曰く「合田プロが一緒に回ってくれたときの一回だけ100を切れたんですが、結局、その後は一度も100を切ることが出来ませんでした」とのこと。そして「僕にはゴルフの才能が無いみたいです」と申し訳なさそうに頭を下げた。

賢明なる読者諸氏には既に御分かりのことだろうと思うが、じつは彼は、己の力で100stを切ったわけではなかったのだ。あの時の100切り達成は、彼の持っている技量を使って私(合田)がラウンドしたに過ぎなかったと言えるだろう。ゴルフコースでは、練習場のマットからボールを打つことやバーチャルのシミュレーションゴルフと違い、前方に待ち構える池やOBなどホール・バイ・ホールのロケーションに心が揺れ動かされれば、コース上の様々な状態にあるボールを打つしかない。
すなわち、ゴルフコースをラウンドするということは、あらゆる場面に於ける『対応能力』が求められるということでもある。無論、たとえ100切りであろうとも、相応の対応能力は不可欠な要素であり、その能力を僅かなラウンド数や僅かな期間で身に付けることは不可能だとさえ言えるだろう。

経験を積んで、その対応能力を研く必要がある。たとえ100切りであろうと経験と研究が必要なのがゴルフというスポーツだ。

確かに100stを切ることを目標にトライしているときは楽しく感じるし、多くのハイハンディのアマチュアゴルファーが「100切りを目指して頑張ってるときが一番ゴルフが楽しかった」と回想したりもする。よく聞く言葉だが、さて、そんな仰り方をされている貴殿の現在は『100stを打たないゴルフ』になっているだろうか?
『100を切るゴルフ』と『100を打たないゴルフ』には、それこそ雲泥の差があって、本当の100切りとは、じつは『100を打たないゴルフ』だと言える。
100を切ったことのある人は、今でも100を打つ人。そして100を打たない人というのは、少々ゴルフの調子が悪くとも、そう簡単には100を打たない人である。それはつまり『90stを切れる人』のことを言う。この、通称『ボギープレー』を打破できるようになると、ゴルフは破格に面白くなる。
100切りを目指している時期なんてメじゃない面白さだ。また、90を切れるようになると100という数字がハッキリと遠くなるどころか、不思議なことに、己の上達のスピードに明らかな加速感が加わることを知るだろう。そして・・・なんとなくかもしれないが、ゴルフの何たるかが分かって来たような気さえする。

焦らず慌てずジックリと、当初は100st切りを目指し、ゆくゆく90st切りを目指し、100stを打たないゴルファーになって欲しい。
そういった上達の過程を踏むなかで、気遣いの出来る、周囲の方々に愛され尊敬されるゴルファーを目指して欲しいのである。

 

 

【Gスタジオ&合田洋ゴルフクリニック】

最近の・・・

「最近の若い者は」というフレーズは、昔から度々使われていた。
賢明なる翁が、若い世代や壮年期にある世代の人間を捉えて、「最近の若い者は」と、それは恰も「最近の世相を憂ええた溜め息」のように映ったに違いない。つまり「最近の若い者は」というフレーズは、じつを言えば「最近の世の中は」という憂いであり、賢者たる翁の溜め息とも言えたのだ。しかも、それが、4000年以上も前に建造されたピラミッドの片隅にも、クサビ形文字を用いて「最近の若い者は」と書かれてあることを知れば、いつの時代も、どの国でも、時代の変遷のなかに賢者の溜め息は連綿と続いて来たと推測することが出来る。人は生まれ、そして死ぬ。生まれ出で、懸命に生きるなか、長年の経験から培われた賢明なる翁の目を通して見れば、いついかなる時代も憂いて然るべき「人の拙さ」が確かに在るのだろう。

しかし日本の昨今、この「最近の若い者は」というフレーズが、どうやら少し変わって来たような気がする。「ブレーキとアクセルを踏み間違えた!?」そういった報道などを目にする。やれ高速道路を逆走する、やれ歩道を歩く登校児童を車で薙ぎ倒す、やれ車で店舗に突っ込む、それはもう、かつて賢明なる翁が憂えた「人の拙さ」では済まされない恐ろしい社会現象ともなっている。その無軌道さは後を絶たない。つい先だってスーパーマーケットで見かけた御老体が「今から買うんだから何が悪いんだ!」と店員さんに向かって憤っているのだが、いくら「今から買う」と主張しようとも、レジで精算する前の食品を食べてはならないのは常識のはず。しかし、その店員さんの言葉を御老体は聞く気もなければ理解しようとする気もない。
そう、現代日本では「最近の老人は」なのである。

若者よ。「そんなのボケ老人だから起こるんだよ」なんて言葉で事を済ませてはならない。現在の日本は、かつてない高齢化社会を迎えているのだから、いずれ貴殿も渦中の人となる。そう言う私も当年54歳という年齢であるからして、そう遠くもない未来に渦中の人となる。

四季折々を身体で感じ、書物を通して教養を深めよう。新しい何かを勉強してみよう。そして、樹木の声に耳を傾けながら若者達の未来を考え、潮風を受けつつ己の過去を省みよう。経験があるからこそ、故きを温ねて新しきを知ることが出来る世代でもある。
私を含め、これからのシニア世代は「聞かせよう」とするよりも『聞こう』とする心を持つべきではなかろうか。。。

 

 

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