私に限らず、プロゴルファーには必ず『師匠』が存在している。
恐らく、プロゴルファーに限らずアマチュアでも、上級者であればあるほど必ず『師匠』と呼べる人間が存在するだろう。
無論これは、ゴルフに限らず、あらゆるスポーツの世界でも然り。
否、スポーツの世界ばかりでは無いはずだ。
唯一私が「プロ」という代名詞で呼んでいる人物は、宮本忠男を置いて他には居ない。宮本忠男は、かつての龍ヶ崎カントリー俱楽部の所属プロであり、高校を卒業して龍ヶ崎カントリー俱楽部にアシスタントプロとして入社した私を、徒弟制度的な観点から徹底的に鍛えたプロゴルファーであり、私の最も敬愛する友人の一人であり、私と女房の仲人でもある私の師匠だ。
宮本プロは昭和14年7月生まれの77歳。龍ヶ崎カントリー俱楽部で最初にプロテストに合格したプロで、昭和33年に龍ヶ崎が開場して以来、初代プロ=井川栄造の下で修行を積み、30歳のときにプロテストに合格した苦労人でもある。
そんな宮本プロを師匠に持った私の修行時代は、毎日のプロ室の掃除から始まり、師匠のクラブ磨きから靴磨き、洗車などは当たり前。マスター室業務と練習場の球拾いやキャディを熟すなか、それらの作業&業務の合間を縫って「練習させて貰う」というのが日常だった。
運転免許取得とマイカーはプロテストに合格するまでは御預けだったから、買い物や散髪などには全て自転車を漕ぐ。公然と練習できる日は、キャディにあぶれてしまう雨の日だけだったので、「長靴を履いて練習する研修生」と、他の社員にからかわれたものだ。なにしろ車を持っていないから、ゴルフ場が終わった後に近隣の練習場に行きたくとも行けない。そんな私に宮本プロは「朝、明るくなるのを待ってラウンドすればいい。夜、月明かりでも素振りが出来る。俺に黙って近所の練習場になんか行ったら必ず破門にする」と、とにかく自分で時間を作り龍ヶ崎カントリー俱楽部内で練習をしろ、と厳しかった。
プロ室の掃除や、自分のクラブの掃除、靴磨きなどを怠れば、私のクラブセットはゴミ捨て場に捨てられた。会社の業務が忙しいなどという言い訳は全く通じない師匠だった。
そういう師匠の御陰で自分の時間を作ることが上手になった私は、今でも、どんなに忙しい最中にあっても、定期的に宮本プロと一緒にラウンドをしたり、一緒に酒を飲んでは話をしたりする。
最近の酔っぱらった我が師匠は、度々「お前はゴルフは下手だったが根性だけは天下一品だった」と口にし、お前と出会えたことを神様に感謝している風のことまで口にするようになった。
歳だなぁ、プロも・・・(笑)
龍ヶ崎カントリー倶楽部でプロテストに合格したのは、宮本プロと私の二人だけ。師匠と私の『龍ヶ崎プロ会』は、きっと、どちらかが死んでしまうまで続くのだろう。
宮本プロ、いつまでも元気で長生きして下さいね。