錯覚との闘い

ゴルフコースをラウンドしていて、ときに陥る【罠】がある。
たとえば、ユッタリと右にドッグレッグしている広いフェアウェイの前方やや左サイドに並ぶバンカー群を見て「なるほど、このホールは前方左サイドのバンカーを避けて右方向へとクロス気味に打っていくホールだな」という攻略を立ててみれば、そのティーショットが完璧であればあるほど、どうにもならない2ndショット地点に見舞われてしまったり。また、ティーショットで良いポジションを確保した2ndショットを打つときに、グリーンに立っているピンが、その距離のわりにどうにも遠く感じてしまったがため、好いショットを打てば打つほどピンを大きくオーバーしてしまうことなどである。
これは、そのホールを設計者が設計する際に施した絶妙なランドスケープから生じる『錯覚』という名の罠だ。
このように優れたゴルフコースでは、ところどころに巧妙な罠が仕掛けてあって、その罠を情報として知っておくことはもとより、練習で培った技量や自信などを以て乗り越えていくことも重要な『ホール攻略』となる。つまり良いスコアを出すためには、様々な情報を処理していく力量が問われるわけだ。これこそゴルフが、歩くチェスと呼ばれる所以でもあるだろう。
ところが『ゴルフの錯覚』は、コースをラウンドしているときばかりに現れるものではなく、己のスウィングにも現れるから厄介なのである。

『実際の動きと自分自身で感じている動き(動きの感覚)は、必ずしも一致しない』

スウィングを敢行するにあたり、こう動いているつもりが全く逆の動きとして実際のスウィングに現れてしまう。一つの動きに対して二つの観点が生じるとも言える極めて不可解な現象が、この『実際の動きと自分で感じている動きは必ずしも一致しない』というゴルフ特有の現象であり、古来より、多くのゴルファーを脱出不可能な迷宮へと誘った恐るべき錯覚なのである。
スウィングレッスンでは、この『実際の動きと感じる動きは必ずしも一致しない』という錯覚を埋める作業、すなわち『実際』と『感覚』のギャップを埋める作業が非常に重要となる。これは、クライアント(受講者)との綿密なディスカッションなくしては決して解決を見るものではない。なぜなら、彼らの意識のなかに根強く存在している『感覚』が、正しい動きを行わせてくれないという『実際』を引き起こしているからだ。

山で遭難したときに、あなたは沢を探すなり、下へ下へと下降するだろう。下には町があるし、あなたには常識的に極めて正しい判断だとの自負もある。しかし途中で考えるはずだ。さて、自分は降っているのだろうか?登っているのだろうか?と。ところが山育ちの人間は、先ず高いところに上がろうとする。それは、見晴らしの良い高いところに上がって、自分が何処に居るのかの情報を得ようとするのだ。
ゴルフが上手な人も同じことをする。たとえ遠回りをしようとも、まずは客観的情報を把握しようとする。我々レッスンプロ(コーチ)は羅針盤だ。

結局、錯覚から生じる【罠】の正体は、じつは、あなた自身が、自分自身の枠(常識)から踏み出せないだけのこと。
心の格闘技とも呼ばれるゴルフは、自分との闘いであることは然り、同時に錯覚との闘いでもあるということを忘れてはならない。

 

 

【Gスタジオ&合田洋ゴルフクリニック】

100切りゴルフ

先日、久しぶりに懐かしい友人と会った。彼との出会いは今から20年以上前のこと。市井の練習場で練習をしていた私に、「友達に勧められてゴルフを始めたんですが一向に上手くなれない」と彼から声をかけて来たのである。なんでも「いくら練習しても110stが切れなくて仲間に毎回負けてしまう」らしく、ぜんぜん自信が付かないとのこと。今の目標は? と聞くと、「100stを切りたい。一度でも100が切れれば自信が付いてゴルフが楽しくなると思う」とのことだった。話してみると中々礼儀ただしい人だったし、彼の人間性にも興味を持った私は、レッスン料金はレッスンの後に居酒屋で御馳走してくれればイイと軽く請け負ったのである。もちろんツアーがシーズンオフだったこともあった。
先ずは週1ペースで練習場でのレッスンを5回ほど行って、その後、マンツーマンでのラウンドをした。練習場で、ある程度スウィングの下地を作り、ラウンドでは、彼が打つ毎にボールを何処に置くのか、ターゲットを何処に持つのか、どういう気持ちでスウィングをするのか等々の指示を与えた。そのラウンド中、彼は、私の指示を真摯に全うしてくれたことは言うまでもない。
もちろんミスはあったしOBなども打ってしまったのだが、その日のスコアはというと、52st&46st=98st。
私自身ハッキリと憶えているのは、泣き出しそうな勢いで喜んでいた彼が余りにも印象的だったからだ。なんと、わずか一か月間での100切り達成。ベストスコアの大幅更新である。
ところが久しぶりに会った現在の彼が曰く「合田プロが一緒に回ってくれたときの一回だけ100を切れたんですが、結局、その後は一度も100を切ることが出来ませんでした」とのこと。そして「僕にはゴルフの才能が無いみたいです」と申し訳なさそうに頭を下げた。

賢明なる読者諸氏には既に御分かりのことだろうと思うが、じつは彼は、己の力で100stを切ったわけではなかったのだ。あの時の100切り達成は、彼の持っている技量を使って私(合田)がラウンドしたに過ぎなかったと言えるだろう。ゴルフコースでは、練習場のマットからボールを打つことやバーチャルのシミュレーションゴルフと違い、前方に待ち構える池やOBなどホール・バイ・ホールのロケーションに心が揺れ動かされれば、コース上の様々な状態にあるボールを打つしかない。
すなわち、ゴルフコースをラウンドするということは、あらゆる場面に於ける『対応能力』が求められるということでもある。無論、たとえ100切りであろうとも、相応の対応能力は不可欠な要素であり、その能力を僅かなラウンド数や僅かな期間で身に付けることは不可能だとさえ言えるだろう。

経験を積んで、その対応能力を研く必要がある。たとえ100切りであろうと経験と研究が必要なのがゴルフというスポーツだ。

確かに100stを切ることを目標にトライしているときは楽しく感じるし、多くのハイハンディのアマチュアゴルファーが「100切りを目指して頑張ってるときが一番ゴルフが楽しかった」と回想したりもする。よく聞く言葉だが、さて、そんな仰り方をされている貴殿の現在は『100stを打たないゴルフ』になっているだろうか?
『100を切るゴルフ』と『100を打たないゴルフ』には、それこそ雲泥の差があって、本当の100切りとは、じつは『100を打たないゴルフ』だと言える。
100を切ったことのある人は、今でも100を打つ人。そして100を打たない人というのは、少々ゴルフの調子が悪くとも、そう簡単には100を打たない人である。それはつまり『90stを切れる人』のことを言う。この、通称『ボギープレー』を打破できるようになると、ゴルフは破格に面白くなる。
100切りを目指している時期なんてメじゃない面白さだ。また、90を切れるようになると100という数字がハッキリと遠くなるどころか、不思議なことに、己の上達のスピードに明らかな加速感が加わることを知るだろう。そして・・・なんとなくかもしれないが、ゴルフの何たるかが分かって来たような気さえする。

焦らず慌てずジックリと、当初は100st切りを目指し、ゆくゆく90st切りを目指し、100stを打たないゴルファーになって欲しい。
そういった上達の過程を踏むなかで、気遣いの出来る、周囲の方々に愛され尊敬されるゴルファーを目指して欲しいのである。

 

 

【Gスタジオ&合田洋ゴルフクリニック】

最近の・・・

「最近の若い者は」というフレーズは、昔から度々使われていた。
賢明なる翁が、若い世代や壮年期にある世代の人間を捉えて、「最近の若い者は」と、それは恰も「最近の世相を憂ええた溜め息」のように映ったに違いない。つまり「最近の若い者は」というフレーズは、じつを言えば「最近の世の中は」という憂いであり、賢者たる翁の溜め息とも言えたのだ。しかも、それが、4000年以上も前に建造されたピラミッドの片隅にも、クサビ形文字を用いて「最近の若い者は」と書かれてあることを知れば、いつの時代も、どの国でも、時代の変遷のなかに賢者の溜め息は連綿と続いて来たと推測することが出来る。人は生まれ、そして死ぬ。生まれ出で、懸命に生きるなか、長年の経験から培われた賢明なる翁の目を通して見れば、いついかなる時代も憂いて然るべき「人の拙さ」が確かに在るのだろう。

しかし日本の昨今、この「最近の若い者は」というフレーズが、どうやら少し変わって来たような気がする。「ブレーキとアクセルを踏み間違えた!?」そういった報道などを目にする。やれ高速道路を逆走する、やれ歩道を歩く登校児童を車で薙ぎ倒す、やれ車で店舗に突っ込む、それはもう、かつて賢明なる翁が憂えた「人の拙さ」では済まされない恐ろしい社会現象ともなっている。その無軌道さは後を絶たない。つい先だってスーパーマーケットで見かけた御老体が「今から買うんだから何が悪いんだ!」と店員さんに向かって憤っているのだが、いくら「今から買う」と主張しようとも、レジで精算する前の食品を食べてはならないのは常識のはず。しかし、その店員さんの言葉を御老体は聞く気もなければ理解しようとする気もない。
そう、現代日本では「最近の老人は」なのである。

若者よ。「そんなのボケ老人だから起こるんだよ」なんて言葉で事を済ませてはならない。現在の日本は、かつてない高齢化社会を迎えているのだから、いずれ貴殿も渦中の人となる。そう言う私も当年54歳という年齢であるからして、そう遠くもない未来に渦中の人となる。

四季折々を身体で感じ、書物を通して教養を深めよう。新しい何かを勉強してみよう。そして、樹木の声に耳を傾けながら若者達の未来を考え、潮風を受けつつ己の過去を省みよう。経験があるからこそ、故きを温ねて新しきを知ることが出来る世代でもある。
私を含め、これからのシニア世代は「聞かせよう」とするよりも『聞こう』とする心を持つべきではなかろうか。。。

 

 

【Gスタジオ&合田洋ゴルフクリニック】

『一打一会』

ゴルフは『道』である。常々そう思う。日々そう思い知らされる。

「スポーツは人間形成に役立つ」これはスポーツ全般に言えていること。しかしゴルフほど、人間の人格を鍛える(若しくは試される)スポーツは無いのではなかろうか。。。

逆説的な話になるかもしれないが、人間形成という点に於いてゴルフは、少なからず危険なスポーツでもあるからだ。
ようするに「踏み外すこと」が多々あるからである。『道』であるからこそ踏み外す者が出て来るとも言える。
上手くなれば、心に驕りが生じてしまうのは如何なるスポーツにも言えていることかもしれないが、ゴルフほど驕慢に陥りがちなスポーツは無い。これはゴルフの暗黒面だと言えよう。

ゴルフが上手いだけで、なんでも出来ると勘違いするのだ。
彼らの言動は鼻につくこと然り、プロゴルファーのなかには大学を卒業してすぐ、社会人としての経験を積まずして一年間に何千万円と稼ぐようになることで人格的に明らかに壊れた人間となってしまう。アマチュアゴルファーのなかには、その驕慢さがゆえに、ハイハンデの方々を「一般アマチュア」などと蔑むような言い方をする人間となってしまう。上記の者達は、ゴルフの道を踏み外した人間だ。彼らは総じて、対人間に対する場面に於いて、敬意はおろか敬語さえ失する場合が殆どである。

『道』あるところに『師』あり。
『師』あるところに『守破離』あり。
『守破離』すなわち『学び』なり。
『学び』あるところに『謙虚の心』あり。
『謙虚の心』あるところに『敬意』あり。
ゆえに『道』を歩む者、対人にして『敬意』をこそ尊ぶべし。

『敬意』とは、人を尊重する心。一期一会という言葉があるが、ゴルフの場合は一打一会も大切な心。
一期一会と一打一会の心を以って、プレーが出来る感謝のなかに己を高めたい。プロ、アマを問わず、ゴルファーたる者かくあるべし。

 

 

【Gスタジオ&合田洋ゴルフクリニック】

久々の一献

週刊ゴルフダイジェストで連載中の『江連忠・新モダンゴルフ』というレッスンコミックを御存じのかたは多いと思う。
江連プロが先ず一言を発し、その意味を分かり易く漫画を通して読者に伝えるというレッスン連載である。
江連プロの他にも彼のレッスンスクールのインストラクターを始めとした様々なキャラクターが登場するが、その中で異彩を放つ「山中さん」と呼ばれる登場人物がいる。この山中さんは、ともすれば硬くなりがちなレッスン物の連載に、絶妙とも言える笑いのエッセンスを加える非常に味わい深いキャラクターだ。既に御気づきの方もいると思うが、作中の「山中さん」は、このレッスンコミックの原作者=山中賢介さん御本人である。
じつは、この山中賢介という名前はペンネーム。したがって本名は別にあるが、最近の私は、この山中賢介さん御本人と会うたびに、ついぞ「山中さん!」と呼んでしまう有り様である。それほど、作中の山中さんは印象的なキャラクターとも言える。
ずっこけ加減が尋常ではない作中の山中さんは、一般的には有り得ない人物像である。そう、だからこそ笑えるのだ。
この山中さん=山中賢介さんと私は30年以上前からの友人である。
無論、これまで幾度となく一献を交わし交流を深めて来た御人であるが、数年前から忙しくなり、場面場面で会ったりはするのだが中々一献を交わすとまではいかなくなっていた。
歳を重ねることに因って、自分自身の身体でありながら、身動きがママならなくなることは多々ある。

そんななか先般、その山中賢介さんと仕事が一緒になり、仕事が終了した後、新橋の居酒屋で久しぶりの一献を傾ける機会を得た。
近況を手繰る話のなかにも懐かしい気持ちが去来する。山中賢介さんは相変わらずだ。作中の山中さんを地で行く御人柄である。ずっこけかたも昔と何ら変わらない。磊落に笑い続けながら杯を干していく山中賢介さんとの晩は深まっていった。
旧知との一献に互いの近況を知り、また昔話に花を咲かせられるのは人間の特権だと感じた次第もあった。
楽しい晩でした🎵 ありがとう山中さん。

山中さんは現在長野県に住み、農業を傍らに執筆活動を行っている。

 

 

【Gスタジオ&合田洋ゴルフクリニック】

「競技用」という規制を。

ゴルフの長い歴史のなかで、様々なゴルフクラブの規制(用具規制)が、変更されたり追加されたりした。
それはクラブ開発が進むなかで「ボールの制動」を司るゴルフクラブが、プレーヤーの技量向上に必ずしも適さない用具として進化を遂げてしまったと判断された場合に起こった、というのが私見である。
クラブを使ってボールを打ち放ち、また転がして、カップと呼ぶ地面に穿たれた穴(ゴール)にボールを収めるという作業をおこなうゴルフは、まずはボールという用具ありき、そして「14本」という使用本数制限のあるゴルフクラブという打球用具の一本一本に、それぞれの特性を持たせて、その時点に於けるボールが置かれた場面場面に対峙していくスポーツである。
ゆえに、それぞれのクラブの飛距離、どれだけのスピンをボールにかけるか、その飛球をコントロールできるか等、プレーヤー個人のスキルや技術によって為される「ボールの制動」に、用具そのものが、その個人のスキルの範疇を凌駕してしまえば、それは明らかにゴルフがスポーツとしての競技性を失ってしまい、興味深いスポーツでは無くなってしまうとも言える。
つまり、飛ばすための肉体のスキルアップや、飛球をコントロールするための練習が意味を為さなくなってしまうのである。

現在ゴルフが抱えている問題の一つに、用具の進化によって、飛距離が大幅に出るようになったということがある。これは、今後の競技ゴルフ(プロゴルフツアーのみならず倶楽部に於ける月例競技なども含む)に、徐々に、しかし確実に、大きな影を落とす要因となり得るだろう。その理由の最たるものは、用具の進化によって飛距離が大幅に伸びたことによって、相対的にゴルフ場が短くなり過ぎてしまうことで起こる、『ホールの短尺化現象』に他ならない。
今から数年前、ウッドクラブの反発規制や長さ制限が起こり(飛距離増大の制御)また、フェース面の溝規制などが起こった。しかし、ここで私の考えを述べさせて頂けば、いま最も規制を要する点は『飛距離追及型の用具』に更なる一石を投じること。それはボールに対する規制も然り、クラブに対する規制も然りである。

そこで提案がある。
例えば、ゴルフクラブの重さ。少なくとも競技ゴルフに於いては(男子60歳以下の競技ゴルフと定義しても良いだろう)クラブの総重量(一本のクラブの重さ)を「380g以上かつ580g以下」に規制する。併せて、長さに対して「43インチ以下」といった規制を加えるのである。長さに関しては、「60度測定法で測定したとき」など測定方法にも規制を加えたい。
また、これは予測だが、現在のボールに規制が加わらないと仮定すれば、上記「重量の制限」と「長さの制限」を新たな規制として施せば「使用本数制限」にも、現在の14本から12本あるいは10本などに見直すべき点が生まれるだろうと考える。

そもそも、ウッド系クラブのクラブヘッドを「木製に限る」と断ずれば、全ての問題点は解消されるような気もする。。。だいたい名称が「ウッド」なんだから、木でしょ。
職人技とも言える木工製品を、鋼鉄を使った工業製品にしたのは如何なものだろうか。

 

 

【Gスタジオ&合田洋ゴルフクリニック】

2018

以前にも書いたが私には4人の子供達がいる。つまり私は、6人家族のオヤジである。
家族の仲は極めて良好。私は知らなかったのだが、4人兄弟が時々集合して駅前の居酒屋などで兄弟水入らずの酒宴を開いたりしているそうである。そんなときはオヤジやオフクロが邪魔者なのは、子供として健全の極みなのではなかろうか。
無論、夫婦仲も良好である。夫婦仲については、この4人の子供達が総じて「理想の夫婦」と評するくらいだから本当に好いのだろうと思うが、当の我々夫婦にとっては当たり前すぎて、いまいちピンとは来ていない感じである。

長男は公務員として就職して十年にもなる。既に立派な大トラとなっていて、この長男と時々酒を飲むのは私の楽しみのひとつだ。
長女は二年前から看護師として病院に勤務していて、彼女が二十歳を迎えるころからオヤジと娘の関係は非常に良好なものとなっている。次女は今年の3月で看護師の学校を卒業する。既に就職先も決まっているが、上記長女とは裏腹に昔からオヤジに優しい娘だった。この二人の娘達は大変頼れる存在に成長しつつあることに疑いはない。
次男は昨年就職しているが、兄貴の後を追ってなのか同じ公務員である。「男子三日会わざれば刮目して見よ」とはよく言ったもので、成長著しい闊達とした男児となっている。

この子供達が小さい頃には、まずは親の話を聞かせることが大切だったが、昨今に至っては、我々夫婦が彼らの話に耳を傾ける場面のほうが多く、請われでもしない限り口を挟む機会が少なくなった。
べつに「老いては子に従え」を意識して実践しているわけでもない。そもそも我々夫婦とてまだそれほど老いてなどいないのだが、子供達は成長したし、彼らの近況や考え方の変化、また、嬉しかったことや辛かったことなどを聞いているのが楽しくあるということである。

さて2018年を迎えるにあたり合田家は、この6人の家族が揃って、大変賑やかな年末年始を迎えた。
やはり以前にも書いたが、我が家族の正月は、近隣の小高い丘に鎮座する医王山という不動院から、家族みんなで初日の出の御来光を拝するところから始まる。子供達がほんの幼少の頃から、そこまで皆でランニングで上がる(女房だけは後から車で追いかける)のを元旦の恒例行事としているのである。
子供達が小さい頃は、その往復3キロ弱の距離が彼らにとって中々長い距離だったが、今に至っては非常に短い距離となった。
そのじつ私にしてみれば、ちょっと短か過ぎる距離なので、今年は少し早めに家を出て、5キロほど遠回りをしてから子供達の待つであろう不動院に向かった。
日の出の10分程前に不動院に到着してみると、はたして子供達は4人とも既に到着を遂げていた。やがて女房の車も到着し、家族みんなで今年の御来光を拝した次第である。その後、息子はランニングに出かけた。息子も走り足りないと感じていたのは言うまでもない。

ところが、そこで娘二人から叱責を受けてしまった。
「みんなで走るのが大切なんだからダメだよ!おとう。お兄も“協調性がない”って怒ってたよ!」ということである。

2018正月早々、子供達から一本取られてしまいました。
そういえば、かつて、坂道の途中でヘバってしまった次男を、長男が背負って走っていたこともあった。
彼らにとって、初日の出の御来光を拝することが家族の恒例行事なのではなく、そこに至る道程までを含めてが恒例行事。みなで一緒に家を出発して、互いが互いをフォローし合いながら走り、家族みんなで一緒に御来光を拝む。その一連の流れをこそ彼らは大切にしたいと考えていたのだ。それは、「形」だけではなく「過程」をも大切にしたいという思いである。

事実として子供達に怒られはしたが、結果的に、親として、ことのほか嬉しい出来事であったことは確かである。

 

 

【Gスタジオ&合田洋ゴルフクリニック】

御陰様で。

レッスンに従事して既に11年が経った。既に御聞き及びの御方も多かろうと思うが、小生のレッスン本が出版された。

小生のレッスンは、アマチュアの方、主にアベレージプレーヤーや初心者の方にゴルフを如何に伝えるかに重きを置いている。依頼を受けて彼らの思いに自分自身が納得すればプロゴルファーのコーチをしたりジュニアも診るが、主たるレッスンはアベレージクラスや初心者クラスの方へのレクチャーであり、ゴルフに悩みを抱いている方を如何に導くかにこそ使命感を持っている。
無論、今般の出版も、そういった方々へ「ゴルフの基本的な考え」を御伝えし、かつ「ゴルフの本質」を御伝えするなかで「ゴルフの本当の楽しさや面白さを知って頂きたい」という小生の思いが、日本経済新聞出版社さんに届いたと考えている。

本書の「あとがき」にも書いたが、この本は確かにアベレージプレーヤー脱却のノウハウ本である。
が、実は、少々ならずとも文章や構成、その言葉の使い方などに工夫を凝らしてある。それは、サラッと読めばアベレージプレーヤー用だが、じっくり読みこめば可成りの上級者にも今後のプレーに必ず役に立つという、立体的な作りになっているということである。無論じっくり読みこめば、プロゴルファーとて充分に役に立つ。
つまり、サラッと読めばスルッと頭に入る内容だが、繰り返し読めば読むほど深みが出てしまう内容だと言える。
アベレージクラスのアマチュアの方が読めば、笑いながらスッキリと気持ちよく頭に入るが、プロゴルファーやシングルハンデのアマチュアが読むと難解な内容となって跳ね返り、何度読み返しても理解することさえ難しい可能性が高い。ということで、シングルプレーヤー以上のゴルファーの方が、本書を手にしたときの注意点を記す。

『己に照らし合わせつつ読み解くべし。さすれば今後に光明を見出せると心得よ。その一条の光を頼りに、己を磨くが賢明なり』

本当に、面白い本が書けたと思っている(笑)

 

 

【Gスタジオ&合田洋ゴルフクリニック】

すっかり御無沙汰

約3カ月にも亘り、自らのブログ更新を御ざなりにしていたのには理由がある。
じつは小生、このたびレッスン本を出版できることと相成った。発売開始は、再来月は9月の頭で御座る。
日本経済新聞出版社からの発刊で、バタバタとしていたが、だいぶ落ち着いてきた感じ。特にゲラと呼ばれる全文のチェック作業は大変でした。一冊の本を何回も読み返すに近い作業だったからである。
出版社の編集者は、毎日のようにこういった作業をしているのかと思えば、彼らの御苦労をしのぶばかり。あらためて出版物を作成される編集者の皆さんに感謝の気持ちが湧きあがった。
みなさんには不思議に感じられることかもしれないが、小生、ジャーナリストの方々や、編集者の方々、および執筆活動等に勤しまれている方々の友人が多い。いずれも自分がツアー転戦中に知り合った方々だが、だからと言って小生以外のプロゴルファーが皆、そういった方との交流があるかと言えば決してそんなことはない。その理由の最たるものは、小生が長年、高橋勝成プロと一緒にツアー転戦を行っていたからだと言えるだろう。勝成さんは、当時から、ことのほかメディア関係の方々との交流を大切にし、その勝成さんと同行していた小生も、同様に彼らとの交流を結べたという次第があった。ゆくゆく小生の場合、交流というよりも交遊になってしまい(笑)それがいまだに続いているわけである。
だが、そもそも彼らとの出会いを作ってくれたのは勝成さんだ。振り返ってみれば、高橋勝成プロには感謝の言葉しかない。

高橋勝成、懐かしい名前である。かつて『マッチプレーの鬼』とも呼ばれた名プレーヤー。アマチュアゴルファーでも壮年期を越える方なら、勝成さんの名前を知らない人などいないだろう。
勝成さんからは技術的なことは何も教えて貰えなかったが、ツアーでの戦い方や練習ラウンドの仕方、ツアー開場への移動から宿泊先をどのように選択するかなど、本当に多くのことを教えて頂いた。小生のゴルフ人生に於ける恩人とも言える存在である。
優しい笑顔が印象的な人だが、ことゴルフに対しては本当に鬼のような人だった。ここまで練習するか!?というほどの練習の虫で、その姿は丸で、自分自身を自信の塊に変えたいかのような鬼気迫るものがあった。松山英樹くんも練習の虫と聞くが、松山くん曰く「安心したいから練習するんです」だが、勝成さんの場合、松山くんのそれとは違うように思う。追い込み方が尋常ではなかった。練習に没頭する勝成さんは、プロの小生の眼から見ても「人」には見えなかった。
『努力と自信』という言葉を勝成さんは好み、ファンからサインを求められれば必ず、この言葉を添え書きとし、またこれも必ずだが、サインをした色紙を御返しするとき「ありがとう御座います」と笑顔で微笑んだ。誰よりもファンを大切にするプロゴルファーである。
かつて、勝成さんから「ゴウちゃんは失敗を悔やみ過ぎたり自分を卑下し過ぎたりするところがある。自分のことだけは褒めて讃えて伸ばさなければダメなんだよ。上手くいったら、俺ってスゲェ~ってふうにね」と度々言われたが、小生自身、情けない自分のゴルフをそんなふうに考えることだけは出来なかったのが悔やまれる。

高橋勝成。マッチプレーの鬼は、己に優しく己に厳しい人である。

 

 

【Gスタジオ&合田洋ゴルフクリニック】

左腕の動き

たまにはレッスン物を書かないと、ということで、書く。
題名にある「左腕の動き」を文章にて詳細に述べれば少々難しくなるのだが、大切な話である。出来るだけ簡潔に参る。

ゴルフクラブをスゥイング軸に対してターンさせていくという考え方は極めて重要だ。無論、軸は、身体に存在させるべきものである。
先ず『背骨』。上半身を主体に捉えると『背骨』となる。これは余りにも周知の軸。ゴルフ歴がある人なら誰でも知っていることだろう。そして次に、下半身を主体に捉えた場合の『右股関節』。これが二つ目だ。無論、右打ちの場合だ。左打ちは、逆。
そして三つ目となるものは、腕を主体として捉えた場合の『左腕』である。両腕は、人間の骨格を踏まえたとき、これもまた背骨を軸としたターンが起こるが、ゴルフスウィングそのものにクラブフェースのターンが僅かにでも起これば、左腕を軸線としたゴルフクラブのターンは必須となる。この振り抜きの動作については「回外と外旋」という言葉で表すのが的確だろう。
結論としてゴルフスゥイングは、上記の「三つの軸」が関連し合うことに因って成り立っている身体運動だと言える。

さて、先ずは「回外」という動作。医学用語である。紐解く。

回外:前腕軸を中心にして、手掌を上に向ける運動
回内:前腕軸を中心にして、手掌を下に向ける運動

上記は肘関節の動作であるが、主題が「左腕の動き」である以上、肩関節の動き「外旋および内旋」の説明も必要だ。

外旋:体の前方に向かうある部分を外方へ向ける運動。
内旋:体の前方に向かうある部分を内方へ向ける運動。

肩関節の外旋運動の場合、肘を屈曲して前方に伸ばした前腕を外方へ移動する動作をイメージすると分かり易いだろう。
さて、いよいよ小難しくなりつつあるので、ここでゴルフスゥイングに於ける「左腕が軸となるゴルフクラブのターン」を身体動作の観点から端的に述べてみる。

『左腕は、テークバックでは出来るだけ回内運動を行わず、振り抜きで回外運動と外旋運動が複合的に作用される』、となる。

上記が『左腕』を軸としたゴルフクラブのターンの要諦。
これは今から10年以上も前に、私がツアー転戦をするなかで得るに至ったスゥイング軸の概念の一つである。
当然のことながらだが、だからと言って、この論理だけをアマチュアの方にレクチャーすることが私のレッスンなどではない。上記の言葉を幾ら簡潔に話しても多くのアマチュアの方には面白くもなんともない話だし、幾ら動作の説明を繰り返しても多くのアマチュアの方には何の意味をさえ持たない話だろう。
私自身、何度か雑誌や新聞の記事に紹介して来たし、過去にブログなどにも書いて来た話でもあるが、実際のレッスンでは、スゥイング軸を含めた様々な概念を下地として、アマチュアの方が吸収し易い話でのレクチャーをと心がけている。

 

 

【Gスタジオ&合田洋ゴルフクリニック】